思うところがあって、
鶴見の總持寺へ行ってきました。
大祖堂
明治44年に石川県の能登からこの地に移ってきた
曹洞宗大本山は8万坪の広大な境内に壮麗な堂宇が立ち並ぶ、
なかなかの寺院でした。
仏殿
寒かったけど空が青い日で、
遮るものが無い広大な境内は開放感がありました。
放光堂
放光堂では、
修行僧が大勢念仏を唱える様子を見ることが出来ました。
その修行僧が毎朝磨いているのだろう、
鏡のようにピカピカの回廊。
向唐門
立ち入りが出来ず、閉じたままの門には菊の御紋が。
香積台
三門
大変清らかな心持ちになった午後のひと時でした。
鶴見の總持寺へ行ってきました。
大祖堂
明治44年に石川県の能登からこの地に移ってきた
曹洞宗大本山は8万坪の広大な境内に壮麗な堂宇が立ち並ぶ、
なかなかの寺院でした。
仏殿
寒かったけど空が青い日で、
遮るものが無い広大な境内は開放感がありました。
放光堂
放光堂では、
修行僧が大勢念仏を唱える様子を見ることが出来ました。
その修行僧が毎朝磨いているのだろう、
鏡のようにピカピカの回廊。
向唐門
立ち入りが出来ず、閉じたままの門には菊の御紋が。
香積台
三門
大変清らかな心持ちになった午後のひと時でした。
子会社(?)の旭日運輸という会社で、産廃場を作るの仕事をやっていました。
わたしがバイトしたのは高校生の時だったので、それほどたいした事はやってませんでした。ガラスを運ぶ際の木枠を解体する仕事だったかな。
安全靴、懐かしいですね。
父親が旭硝子京浜工場ひとすじでした。フロート課で40代くらいまで三交代勤務(その後は日勤)。弁天橋近くにあった社宅から首都高1号が見えました…。
私は学校に行っていたとき、日産座間工場で交代勤務のアルバイトをして、ようやく親に顔向けできる(ような)気がしたものです。真夏に安全靴に皮の手袋でスポット溶接はこたえました。あの工場も今はなく。
お寺の正面から出たときに鶴見線の線路は見えましたが。
自分は学生のころ、旭硝子の京浜工場でバイトをしたことがあって、
鶴見小野駅とかでうろうろしてた想い出があります。
バイト先の人に鶴見小野の呑み屋に連れて行ってもらったな。。。
本山にはよく連れて行ってもらいました。
この前久しぶりに国道駅に行って変わらぬたたずまいに感慨…。あの駅は白黒で写真を撮りたいですね。