ちょうど一年前の今日、
「ザ・昭和呑み」が刊行されました。
あれからたったの一年。
されど、「一年っていろいろあるんだな~」と思わされる掲載店の閉店。
なんと、たった一年で載せさせてもらった店が五店も無くなってしまったのだ。
<第三章 カウンター越しのおつき合い「プログレッシブな夜」> 97ページ
高円寺「タンタン」
青天の霹靂とはこのことで、かなりの衝撃を受けました。
マスターとは年末に「キング・クリムゾン」の来日公演も一緒に行った。
大晦日は「タンタン」で夜明かしした。
そして、1月末に突然の閉店。
あまりの慌しさに、最後に行けず、挨拶もできず・・・
その後、マスターとは音信不通。
なにかあったんでしょうし、失意もあったんでしょうか。
いろんな想い出が詰まった店でしたから、本当に残念です。
「ウコンハイ」呑んでからの~
「みそオロチョンラーメン」を喰らう。
この一杯が最後の「みそオロチョン」になってしまった (´・ω・`)
Sさん、ありがとうございました。
<第五章 朝でも昼でも中華屋で「おかあさんのお勧めは?」> 138ページ
大久保「日の出 中華」
こちらも衝撃が強かったです。
お店を閉めるようになったのは3ヶ月はど前からでしょうか。
最初は、マスターの体調不良とうかがっていて、
次には店内改装ののためと。
そして、とうとう「貸店舗」の貼り紙まで貼られて・・・
名物おばちゃんは、店の近くで元気にしていたとの目撃情報はありましたが、
なんと言ってもマスターがご高齢でしたからね。
まったくもって、残念この上なしです。
在りし日の「日の中」
たくさんの魅力的なメニューを書いた短冊が入店を誘います。
大好物だった「肉かけ丼」
定食になると「ピーマン肉炒め定食」
もうこれが喰えないなんて・・・
散々笑わせてくれて、和ませてくれたおばちゃん、ありがとうございました。
<第七章 仕事の後にも合間にも「国家公務員もやってみた 昼メシの情景2」> 209ページ
南阿佐ヶ谷「蓬莱軒」
これぞ昭和の中華屋と言う風情の内外観の店で、
地元民にとても愛されていた人気店だった。
現に閉店の案内が伝わった途端、長蛇の列ができたらしいからね。
「きくらげ麺」が人気メニューで、
それと「タンメン」を頼んでいる人率が高かったかな。
在りし日に喰った「天津丼」
こいつも旨かったなぁ~
南阿佐ヶ谷では貴重な昭和な中華店だったんだけどな。
<コラム3 安くて満腹!神保町ではこれを喰え!> 129ページ
神保町「さぶちゃん」
元祖「半チャン(炒飯)ラーメン」の店。
知り合いから聞きましたが、おやじさんがかなりボケてしまって閉めてしまったとか。
3兄弟で営んでいた
中華そば屋「さぶちゃん」
洋食屋「キッチン グラン」
和定食屋「近江や」
この3店がある神保町の路地裏は最高だったんだけどな~
あくまでも噂なので、もしかしたら閉店してないかもしれませんが。
長く営っていて欲しい店です。
<コラム3 安くて満腹!神保町ではこれを喰え!> 131ページ
神保町「徳萬殿」
同じく神保町のビンボー学生や貧乏リーマンの腹を満たしてきた大盛りデフォーの店。
「ヘルメット チャーハン」と呼ばれていた、
目を疑うような大盛りチャーハンが有名だった。
昨年の10月で閉店してしまったようだ。
わたしはトイレの芳香剤のような匂いがする「ウーシャンロー(五香肉)定食」が大好きで、
毎回大量のぶ厚い豚コマ肉と野菜を「五香粉」で炒めたおかずと
山盛りご飯に震えながら挫けそうになりながら制覇していたものです。
軽い気持ちで来た若者が朦朧として目が虚ろになっている姿を何度も見たものです。
「ウーシャンロー(五香肉)定食」
これを目の前にしたときの衝撃が懐かしいです。
昭和な店を取り上げた本だったので、
一年でいくつかのお店が無くなってしまうのは覚悟のことではあったとは言え、
寂しいものがあります。
日本から大切なものがひとつずつ失われていく。
大袈裟かもしれませんが、そんな気持ちですらあります。