横浜磯子の実家から
どこまで歩けるか挑戦してみました。
暑い日だったけどね。
国道16号を根岸方面に向って、歩く歩く歩く。
「間坂」は、美空ひばりの御殿があった旧お屋敷街。
今でもその頃を彷彿とさせる建物が辛うじて残っている。
海岸線が16号線近くまであった頃から、
宮家の別邸(その後横浜プリンスホテルに)や、
政財界人のお屋敷がたくさんあったところ。
近くの下町商店街の魚屋の娘だった美空ひばりが、
幼い歳からデビュー~国民的歌手になって
10代の頃には荘厳なお屋敷を「間坂」に建てたというから凄いもんだね。
今は大きなマンションが建っていて、面影もないそうですが。
やや歩くと昭和なアーケード商店街「浜マーケット」が見えます。
ちょっと前に火事で全焼してしまったようですが、
すっかりと元の佇まいに戻っていますね。
こういう思いっ切り昭和な風景が横浜にはまだまだ残っているのです。
八幡橋にかかる歩道橋の上から堀割川を望みます。
16号線はここから堀割川に沿って曲がります。
堀割川は中村川から分かれて根岸湾に注ぐ明治初期に開削された運河で、
横浜の水運に大きく貢献した川なのです。
そんな訳で、磯子から根岸までの道沿いには釣具屋が結構ある。
この界隈の波止場は石鯛釣りの有名なポイントなのです。
マニアがたくさん集まってくるんですが、
昔からの釣具屋は時代とともに店を閉めたところも多いんですよね。
根岸駅前のピザ屋さん。
昔から有名な店で、今でも残っていたとは思わなかった。
さて、
ここから根岸の高台に上がっていきますが、
不動坂を登るのもきついので、
御嶽神社から抜けましょうか。
この石段も何段あったかも憶えてないけど、
かなりきつかったな。
もうこの時点で汗だくっす。。。
高台にを登っていく坂道は細い石段の坂が多くて、
横浜らしさが漂います。
ようやく根岸の森林公園に到着。
ここは日本初の競馬場「根岸競馬場」があった跡地。
その関係もあって「馬の博物館」や「ポニーセンター」などの施設もある。
ポニーが何頭かいたんですがね、、、
自分よりも小さなポニーにエサの入ったバケツを奪われた白いポニー。。。
その顔はメチャ悔しそう。
「ああ~ん?なんか文句あんのかよ」
「いえ、なんでもありません。ごゆっくり・・・」
森林公園あたりは、
バプテスト教会、洋館、高級マンションがそびえる高級住宅街。
でも5分も歩くとその景観は一転する。
いきなり昭和なアーケード商店街だ!
山元町商店街。
う~む。。。
そそられますわ~!
山元町交差点から見た打越橋。
切り通し道路を横断するためにかけられた印象的なアーチ橋。
この橋をくぐって道を下って行くと、車橋~長者町に至る。
車橋、、、、「もつ肉店」行きたかった。。。
地蔵坂の交差点を過ぎるとフェリス女学院があって、
その近くにかれこれ30数年前の学生時代にアルバイトをしていた喫茶店がある。
「エレーナ」
その日は定休日だった。。。
久しぶりに行ってみたかったなぁ。
聞くところによるとマスターも高齢のはずだけどご健在だとか。
フェリスのお嬢様ちゃんたちとお知り合いになれた想い出のバイト先なのだ!
ぜひ、リベンジ訪問するぞ!
石川町の駅から高台にあるバイト先の喫茶店に向って、
この石段を毎日登ってたんだよね。
石段の坂道は住宅の軒先を所狭しと通っていて、
こんな具合に布団が干してあったり、
真夏は窓が開け放たれていて、
ステテコいっちょでビール呑みながらテレビの野球観戦している
そこんちのお父さんが垣間見られたりね。
こんな感じですよ。
石段は石川町駅裏手まで誘ってくれて、
山手トンネル出口から裏元町へ。
どこに行っても「表」よりも「裏」が好き。。。
学生時代に教わった茶道も「裏千家」だったしね。
昭和の時代に一世を風靡した、
有名ナイトクラブ「クリフサイド」はこの先ですが、
もう坂は登りたくない。。。
明治21年創業の「ウチキパン」は、横浜でも老舗中の老舗のパン屋さん。
なんでも、食パン発祥の店だとか。
バイトしてた喫茶店もここのパンしか使わなかったもんな。
ハマっ子こだわりのパン屋さんかな。
元町を抜けて中華街を横目に見ながら山下町へ。
やっぱり明治屋も横浜に似合う。
ビアホール「ホフ ブロウ」も健在。
関内、相生町の名店「山田ホームレストラン」
洋食店というか定食屋というか、、、
相生町、太田町、常葉町、住吉町のあたりは
個性的な老舗飲食店や高級クラブなどもあって、
横浜の銀座のような場所かな。
老舗イタリアン「オリジナルジョーズ」が2011年に閉店したのは残念だった。
このあたりで、ようやく昼飯にありついていないことに気が付くんだよね。
<つづく>