京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

本願寺 伝道院

2021年12月22日 08時11分59秒 | 日記
 12月5日は本願寺伝道院を見学しました。




「京都市京セラ美術館会館1周年記念展 モダン建築の京都」の連携企画として公開されています。

本願寺伝道院(重文)は東京築地本願寺など数々の名建築を手がけた東京帝国大学教授・伊藤忠太が設計した建物です。





明治45年(1912)に真宗信徒生命保険株式会社として建てらました。

本体の建物は地上3階、地下1階ですが竣工当時には附属屋、倉庫2棟、物置、人力車置場、便所などがありましたが、現在は本館のみが残っています。



外装は19世紀の英国ヴィクトリア様式ですが、ドーム屋根にはイスラム建築様式が、その外側に付けた石製の欄干は日本の伝統建築様式、隅飾りにはインド風の石造彫刻が取り入れられるなど各国の建築様式を折衷した非常に面白い建物です。

伊藤忠太は明治35年(1902)から3年間アジア・ヨーロッパに留学経験があり様々な様式が混在した本願寺伝道院を設計したのでしょう。


1階の玄関ホールです。

元は生命保険会社の社屋として建てられた建物なので外観に比べて簡素に感じます。
しかし、天井や照明、彫刻にはアール・ヌーヴォーやセセッションの雰囲気を感じさせる重厚さがあります。





2階の「講堂」にはご本尊の阿弥陀如来立像が安置され講義の教室になっていました。

入口には講義の始まりを知らせる「雲板(うんぱん)」が吊るされています。

各部屋には「智慧(ちえ)」、「歓喜(かんき)」、「清浄(しょうじょう)」など仏教に関する名前が付けられています。





伝道院の北側と西側には道路に沿って、先端に空想上の怪獣の石造物が載った柵注(さくちゅう)が並んでいるのもユニークさを感じます。

かなりの老朽化が進んでいましたが、宗祖・親鸞聖人750回大御忌にあわせて保存修理工事が進められ、平成23年(2011)に竣工しています。

平成23年(2011)には国の重要文化財に指定されています。






リストランテ野呂 ランチ⑦

2021年12月20日 08時35分00秒 | 日記
 12月17日は久しぶりに"リストランテ野呂"さんのランチへ。





お昼のランチコースにパスタをプラスして頂きました。



スープはじゃがいものスープです。
外が寒いので温かスープは体が温まり食欲が出てきます。



いつものサラダですが、さつまいもの入ったポテトサラダど葉物野菜と人参のマリネがいいバランスです。
お聞きするとドレッシングはワインビネガーと魚醤を使っているそうです。





プラスして頂いた「アムール貝としらすの釜揚げにスナップえんどうのバジルのパスタです。

メニューでは「釜揚げしらすと九条葱の軽いトマトソース和え」ですが、いつもお願いして別のパスタをお願いしています。
こんな"わがまま"にも気軽に応じて頂けるのも野呂さんの魅力のひとつです。





メインの魚のフライです。
京都の魚は"鯵"と"鯛"です。
年齢を重ねてくると"揚げ物"は敬遠気味にありますが、こちらのフライは不思議に"油感"がする事なく頂けます。

添えられたタルタルソースとじゃがいものビューレが添えられ。ソースの組み合わせで色々な"味変"が楽しめます。


焼き立てのハード型のパンです。
いつも、追加でもう1枚やいてもらいます。



じゃがいものスープから最後のコーヒーまで"ホント"に満足出来る内容です。



晩秋の龍安寺 早朝特別拝観②

2021年12月16日 07時26分00秒 | 日記
 龍安寺方丈の西に「西の庭」と呼ばれるエリアがあります。
昭和57年(1982)に作庭された新しい庭園ですが奥に金森宗和が作庭した一部が残っています。







奥に見える仏殿の手前には廟所があり細川勝元の像が安置されています。
今回は公開はありませんでした。



「応仁の乱」の東軍の総大将・細川勝元像です。









朱山への途中には織田信長の弟・信包とその一族の墓が並んでいます。

龍安寺と細川家との関係の深さは知っていましたが、織田家とも関係が深い事を初めて知りました。



浅井三姉妹の次女"お江"の最初に嫁いだ「佐治一成」のお墓もあります。
上の写真の右から2番目が「佐治一成」の墓です。

龍安寺は長い歴史を歴史を有するだけに奥が深いですね。










次に裏山のひとつ"朱山"にある天皇陵を訪ねます。
龍安寺の裏山を登る事、約15分の所に「朱山七陵(しゅやまのななりょう)」と呼ばれる陵墓があります。
7つの陵墓の総称ですが、麓に四つに陵墓が、山上には三つの陵墓があります。

禎子内親王は藤原道長の孫で三条天皇の娘に当たる方です。





もう少し登ると京都市内を一望出来る所に出ます。










朱山の中腹に一条天皇・堀河天皇の陵墓があります。

今回も龍安寺の事務長で学芸員でもある岩田さんにご案内して頂きました。











晩秋の龍安寺 早朝特別拝観①

2021年12月15日 07時26分00秒 | 日記
 12月5日はJR東海「そうだ京都、行こう。」で世界文化遺産にも登録されている龍安寺を一般拝観前に巡りました。







先ずは、晩秋の紅葉が美しい鏡容池庭園を巡ります。

一般拝観は9時30分からですが、地元の方々は"ある所"から入られ池の周りを散歩されています。









龍安寺と言えば"石庭"が余りにも有名ですが、境内から見える景色のほとんどは龍安寺の境内地(約15万坪)なのです。







鏡容池の中には弁天島があり、弘法大師が作られ豊臣秀吉公が念持仏とされた弁財天・毘沙門天・大黒天がお祀りされています。

また、境内にある大珠院には真田信繁(幸村)の墓がありますが子孫の方がご存命なので非公開になっています。







京都では、それぞれのお寺で独自の竹垣がありますが、龍安寺でも背丈の低い「龍安寺垣」が存在感を示しています。



次に方丈へ。
前には石庭が広がります。







一般拝観なのでご住職が"砂紋"を引かれていました。
滅多に見れない光景なので印象に残りました。







東西25m、南北10mの空間に15個の庭石を配したシンプルな庭園ですが油塀の高さに傾斜を持たせて視覚的に広く見せる工夫がされています。





油塀の柿葺屋根の修復工事の為に今月6日から来年の3月まで拝観を停止されます。







方丈の裏には徳川光圀公寄進の有名な「知足の蹲」があります。
但し、こちらはレプリカでオリジナルは茶室「蔵六庵」の前にあります。

次に通常非公開の「西の庭」と裏山にある天皇陵を巡ります。






圓徳院 夜間拝観②

2021年12月14日 08時59分00秒 | 日記
 "ねねの道"を挟んで高台寺の向かいに高台寺塔頭圓徳院はあります。







北政所ねねさまのご実家・木下家の菩提寺で秀吉公亡き後、ねねさまはこちらで余生を過ごされました。
また、ねねさまご終焉の地でもあります。





方丈南庭は庭園研究家・作庭家として知られる森蘊(もり・おさむ)氏の作庭です。

法金剛院の"青女の滝"や平城宮跡庭園の発掘・復元に携われた方です。



現代の枯山水庭園ですが随所に古く見せる仕掛けが施されています。





方丈襖絵は赤松燎画伯の遺作となった「白龍図」です。







渡り廊下を通り北書院へ。

こちらの庭園は伏見城化粧御殿の庭園をそっくり移設したものです。

ねねさまにとって秀吉公と過ごされた思い出深い庭園だったのでしょう!

各地の名石を集めた庭園ですが、伏見城落城の際、火を浴びてしまっているので変色や表面の剥がれなど劣化が進んでしまっています。

庭園の片隅には小間の茶室もあり、自然の光だけの中で抹茶を頂く事ができます。