油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

職人になりたい。  プロローグ

2021-02-27 13:34:33 | 小説
 「ごらいてえん、ありがとおおお」
 午後三時、黒い革ジャンを着たランチタイ
ムの最後の客が、わきに置いてあった、フル
フェイスのメットと黒のグラスを左手に持っ
て椅子から腰を浮かした。
 それから彼が店の暖簾を右手で持ち上げて、
外に出ようとした。
 その瞬間、いまだに湯気の充満する厨房で
立ち働いていた、従業員三人がいっせいに声
をそろえた。
 ワンテンポ遅れ、奥の方で皿洗いをしてい
るほっそりした男が、
 「ありがとおお」
 と、かぼそい声を出した。
 彼は白いタオルを頭に巻き、上半身はTシャ
ツに、黒い前掛けをしている。
 一見、他の従業員と変わらないいでたち。
 だが今一つ、店の雰囲気になじまない風情
である。
 ひたいからひっきりなしに汗が流れ落ちる
が、ぬぐい去ってしまう暇もないようだ。
 ひりひりするのか、さかんに瞬きをする。
 「なんだよ翔太。声が出てなかったぞ。最
後まで気を抜くんじゃない。もっと性根をす
えてやれ」
 三人のうちのひとりが大声をあげ、翔太に
近づいて行く。
 体をこわばらせる翔太の顔に、厳しいまな
ざしを向けた。
 「あっ、はい、神山さん。すみませんです。
これから気をつけます」
 翔太は顔を床に向け、かぼそく応えた。
 とたんに、翔太のおなかがグウと鳴った。
 「あはは。おまえ、はら減ってるのか。腹
のむしのほうが声がでかい」
 リーダーの鈴木が言うと、ほかの二人がどっ
と笑った。
 金子翔太。
 この春に成人になったばかりである。
 首都圏のある街から、はるばる、喜多方に
やって来た。
 大のラーメン好き。
 それが高じて、食べるだけでは飽き足らず、
自分でも作ってみようと思い立った。
 しかし、客と料理人では、立つ位置が大き
くちがう。
 ラーメン道は、いばらの道だった。
 「さあ、あと片づけだ。それが済んだらな。
誰だって、腹いっぱい食べていいぞ」
 鈴木が大声で言った。
コメント
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