油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

職人になりたい。  その7

2021-04-13 01:48:09 | 小説
 駅の駐輪場に、いつまでも自転車を放って
おくわけにはいかない。
 「ちょっとすみません。チャリンコでここ
まで来たものですから」
 翔太は少し言葉にとげをふくめて、女の手
を振りはらおうとした。
 だが、彼女はそれを許さない。無言のまま、
翔太の腕にからんだ手に力をこめた。翔太の
横顔をじろりと下から見つめたが、翔太はそ
れを無視した。
 「すぐですから、ほんとすみません」
 翔太はあきらめたように、声を落として言っ
てから、スタンドの止めを右足でけった。
 両ハンドルを素手でつかみ、ゆっくりと歩
きだす。
 「さて、どちらに行きますか」
 「うん、どうしようかな」
 女はちょっと迷うそぶりを見せた。
 「なにかもう、わたしと行く気はなくなっ
たみたいだけど。あなたほんとうに時間があ
るの?」
 「ええ、きょうは休みをもらってあるので」
 「そう、だったらいいわね。あら、この荷
台、広そう。ちょっとわたしを乗せてくださ
らないこと」
 女はやたらとていねいにそう言うと、ひょ
いと自分の尻を荷台にのせた。
 女のコートの裾がわれ、下に着ているスカ
ートがあらわになった。
 真っ赤な色が、翔太のこころを、はげしく
揺さぶる。
 ハンドルをとられそうになり、翔太はあっ
と叫んだ。
 「ふふっ、無理みたいね、降りるから」
 女性と連れって歩くなんてことは、今まで
一度もなかった。まして女の体から、たばこ
と化粧水のにおいがたちのぼってくる。
 翔太は自分のいたらなさをとても歯がゆく
思い、大げさに顔をゆがめた。
 なんだか、素手でハンドルをにぎっている
のがつらい。
 アパートを出だしてくる際には感じなかっ
た金属特有のつめたさが、折からの北風とあ
いまって、彼を困らせた。購入時から、ハン
ドルにはカバーがなかった。
 女は大通りへは行かず、路地へ、路地へと
足を向けた。
 道がでこぼこしているせいで、自転車を操
るのに、はほねがおれる。傷のある方の手が
ときどきずきずき傷んだ。 
 「ねえ、だいじょうぶ?わたしといっしょ
じゃ怖い?後悔してるんでしょ。顔に書いて
あるわ」
 「いいえ、後悔なんて、そんな、ぼくの方
から誘ったんですし。怖いなんて……」
 「無理しなくていいの。でもこうなったら
わたし、簡単にはあなたを離さないわよ」
 翔太は、女に馬鹿にされたくなかった。
 こころの中では、軽はずみに、彼女をさそっ
てしまった自分の行動を、充分悔やんでいる。
 そのことを絶対に彼女に知られたくない。
 彼女の目線が、翔太の左ほほを、まるでな
めまわすように当たった。
 (おれの部屋のドアをたたいたのは、絶対に
この人じゃない。違う人だ。もっと若くてピュ
アで……、おれと同じくらいの年齢だったに
ちがいない)
 翔太は自分なりの理想の女性を、無理にで
も彼の脳裡に描こうとした。
 居酒屋の赤いちょうちんが、軒先にぶら下
がっているのが見えた。
 あちこちのネオンがまたたき始める。
 太陽がかなり西に傾いていた。
 文化と歴史の香りただよう街。
 喜多方で生まれ、育った人々が新たな街づ
くりを手掛けるに際して期待したことは、きっ
とそんなふうだったに違いない。
 「勝手なこと言ってすみません。なんだか
とってもわるいと思うけど、おれ、ちょっと
用を思い出したんです」
 翔太は女をひとり、その場に置いて、立ち
去ろうとした。
 「馬鹿ね。ここまでわたしを連れてきてさ。
そんなこと、できると思う。あなたがね、わ
たしを、是非にと誘ったんじゃなくって?」
 女の顔が見る間に紅潮し、両ほほがぴくぴ
くふるえた。 
コメント
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