油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

MAY  その89

2021-04-16 00:13:07 | 小説
 メイがいれたコーヒーの香りが部屋じゅう
にただよっている。
 「さあ、召し上がれ。淹れたてだからきっ
とおいしいわよ」
 「ああ、ありがとう」
 ニッキは立ったまま、カップの耳を無造作
につかむと、一気に喉に流し込もうとした。
 「ああ、だめ。そんなのみかたしちゃ」
 ニッキは顔を紅潮させ、コンコンと激しく
せき込んだ。彼の口から飛び出した茶色の液
体が床をぬらした。
 「ごめん。ごめん。ついつい忙しいふりを
してしまって」
 「わかったわ、ニッキ。ゆっくりコーヒー
を楽しんだことがないのね。かわいそうなニッ
キ」
 メイは部屋の片隅に立てかけてあったモッ
プを持ってきて、床をきれいにふいた。
 そして、それをもとの位置に戻そうとして
ふいに立ちどまった。
 湖畔に向けて作られた窓を、雨がはげしく
たたきつけはじめた。
 「あれを見て、ニッキ。さっきまであんな
に穏やかなお天気だったのに。どうしたのか
しら。かみなりが鳴ってるし。何が起きるか
心配だわ」
 「だいじょうぶさ。春先はいつだってこう
さ。冷たい空気と暖かいのが、往々にしてぶ
つかってしまうからね」
 「そんなものかしら」
 メイの胸がさわいだ。
 (地球の子供たちが大挙して敵にさらわれ
た時にも、これと似た感情を味わったことが
ある……。でも、今度はそれどころじゃない、
もっと何か大きくて……)
 メイは部屋の真ん中で、へなへなとすわり
こんだ。
 持っていたモップの柄がパタンと倒れ、ニッ
キの右の靴を直撃した。
 「あっ、ごめんなさい。わたし、どうした
のかしら。足、痛くなかった?だいじょうぶ
だった?」
 「だいじょうぶ。おれのは安全靴さ。めっ
たなことでつぶれやしない」
 ニッキは、なんとかしてメイを力づけたい。
 顔じゅうに笑みをたたえてしゃべったけれ
ど、メイの表情は暗いままである。
 メイはようやく立ち上がり、よろめく足取
りで揺り椅子まで行き、ふわりと横たわった、
 両目をとじ、なんとかして胸騒ぎの原因を
つきとめようとした。
 母親が以前、彼女に告げていたことが、気
になってしかたなかった。
 「あなたには偉大な力がある」
 それと似たことを言われた。
 雑念をふり払い、彼女自身に訴えかけてく
る自然の声に、耳を傾けようとした。
 どれくらい経っただろう。
 メイはかすかな振動を感じた。
 「地震が来るわ。ニッキ、気を付けて」
 ぼそりと言った。
 「どこ?なんでもないよ」
 「今にやってくるわ」
 地面の揺れがやっと感じられたのか、ニッ
キがあっと叫んだ。
 建物がガタガタ揺れ、湖の波の音が一段と
高くなった。
 ニッキは立っていられない。すぐさま、テ
ーブルの下にもぐりこんだ。
 部屋の中のものが次々に音立てて倒れた。
 再び、部屋を静寂が支配するまでに、どれ
くらいの時間がかかったろう。
 ニッキが立ち上がり、かたづけ始めようと
したが、メイが、
 「あのね。ニッキ。ちょっとそのままでい
て。余震が来るかもしれないし」
 「ああ、わかった」
 ふいに、メイがふふふと笑った。
 「どうして笑う。こんな時に。びっくりす
るだろ」 
 「ごめんなさい。別に深い意味なんてない
の。あなたとわたしって、初めてね。こんな
経験」
 「そうだね。中学の時だって、付き合って
もいなかったし。スクールバスの中でおしゃ
べりする程度だった」
 「うん、そうね、あなたはいつだって公平
だったわ。わたしはそんなところが好きだっ
たわ。今は昔とちがって、すいぶんわたした
ち親しくなったけど……、でもまだまだ。ニ
ッキって、ひょっとして何か隠し事してない
こと?わたしに……」
 「なんだろ。別に。隠さなくちゃならない
ことなんてないけど」
 ニッキはメイの目を見ないで、答えた。
 「うそよ、うそ。わたしなんとかくわかる
んだから」
 メイがすばやく椅子から起き上がったので、
揺り椅子ががシーソーのように前に後ろに揺
れた。
 ニッキも、テーブルの下から出た。
 窓辺に寄り、たそがれがせまる湖畔を見つ
めた。
 「なんでもないって、言ってるのに。そん
なに、おれが信じられないのか」
 ニッキがいらだった。
 「そうじゃないわ」
 メイはニッキのすぐそばに立ち、彼の左手
をそっとにぎった。
 「惑星エックスでしょ」
 メイがささやくように言った。 
コメント
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