油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

11月8日(金)晴れ。

2024-11-08 21:08:52 | 日記
 あとふた月もすれば、また一年歳をとる。
 喜ぶべきことか、それとも悲しむべきなことなのか。

 おそらく、長生きできたと喜ぶべきなのだろう。

 人も動物である。
 年老いて、あちこちガタが来る。
 今年はそのことを痛みをともなって、感じたことで
あった。

 おなかを少しだけ横に切らざるをえなくて、まな板
の鯉と同じ心の状態に置かれた。

 麻酔注射の針で、背骨辺りを、ふかく穿たれ、あや
うく、ぎゃっと叫びそうになった。

 「オペじゃないと、この病は治らないのですから」
 お医者さまのひと言に、
 「おまかせします」
 首を縦に振らざるをえなかった。

 まことにいい勉強になった。

 人は何があっても、生きるべし。
 前向きにすすむように、インプットされている。

 わたしよりずっと若くして病や事故でしかたなく鬼
籍に入った友が数多い。
 あの人も、かの人もと、時折、思い出しては、亡き
友と語りあうつもりになる。

 できるだけ、いいことばかりを想い出すようにして
いるが、うっかりすると、具合のわるい場面がこっそ
り、脳裏のスクリーンに映し出されて、あわてる。

 ああ、あんなことを言わなきゃよかった、しなきゃ
良かった。そうすれば今ごろは……。
 かの人ともっと縁がつながっていたかもしれないな
どと悔やむ。

 しあわせな人というのは、良いことばかりを憶えて
おられる方であろう。

 見方を変えてみる。
 亡くなった人は、果たして哀しんでおられるのだろ
うか。

 そんなことがわかるはずもない。
 あの世に逝って、戻ってこられた方などおられない
のだ。

 話がちょっと哲学的になる。
 生と死。あるとない。

 若い頃はどうも短絡的な傾向が強すぎてふたつの間に
ある「今、生きているぞ」という感覚がつかめない。

 この昼間、猫を庭先で観た。
 彼、または彼女は、日当たりを好んで寝そべっていた。

 わたしは主夫となって久しい。
 洗い物を干そうと、物干しさおに近づくのをためらっ
ていた。

 せっかく目を細めて日向ぼっこをしている猫があわれ
に思ったからだった。

 そうはいっても、いつまでも、かの猫のご機嫌をとっ
ているわけにもいかない。

 できるだけおどかさないよう、忍び足で干し始めたが、
猫はついとわたしの目が届かぬところに行った。
 日陰にもぐってしまった。

 その間、猫はさまざまに表情を変えた。

 わたしが猫になりたいと思うのは、こんな時である。

 もっともっとお金が欲しい。
 もっといい暮らしがしたい。
 等々。

 猫はそんなことに頓着しない。
 寒けりゃ、陽ざしの中で横たえたり、おなかが空けば、
飼い主の足にすりすりすればいいことなのである。

 平々凡々がいい。
 お猫さまから、そんな教訓をいただいた一日であった。

 生まれたからには、死ぬまで生きている。
 人生はそれほど冒険的で、波乱万丈ではないのだった。

 ただし、抗うことのできない事件や事故に遭遇するこ
とがある。 
 ええい、その時はその時だ。
 そう思うようにしている。

 しかしながら、決して自死すまいと考えている。
 自死は後生がわるいのである。

 精神を病んだすえに、えいやっと、列車や海にとび込
んだりするのである。
 正気じゃなかなか死ねないものだ。

 他人のことは言えない。
 わたしも死んだ方がましだと思ったことはあったが、い
ざとなると恐怖がまさった。

 今となっては、それで良かったと思っている。

 
 

 
 
  
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