油屋種吉の独り言

日記や随筆をのせます。

ワクチン接種についての一考察

2021-04-11 08:54:39 | 随筆
 第一波、第二波、そして第三波。
 やれ、もうこれで終わりだろうとほっとしたのもつかの間、
またまた、波が押し寄せて来そうな勢い。 
 十年前の東日本大震災時のつなみの話ではない。
 新型コロナウイルスの世界的大流行についてのものだ。
 これは困った。もっと早く、流行が収まるんじゃなかった
のか。思わずそう嘆き、ため息をつく。
 後ろ向きにばかり、人生をみつめるようになり、日々、体
力の衰えが気になる。目、耳、歯などの衰えぶりに頭をかか
え、かかりつけ医のお手をわずらわせてばかりいる。
 そんなわたしどもは、一体、この事態にどう対処したもの
かと戸惑うばかりである。
 従来のウイルスに加え、今度はあらてのものだという。
 みなさん、よくご存じの変異株。
 英国型とかなにやらと、いろんな種類があるようで、はて、
どこからそれらが国内に入ってきたものやらと、首を傾げて
しまう。
 横浜港に着いた豪華客船のことは、よく知っている。
 政府がすばやく、対策をこうじられ。ああさすが、我が国
の防疫体制はととのっているなと感心した。
 水際対策とやらで、白い防御服を身に着けた人々が奮闘さ
れた。わたしは、その光景を、テレビをとおして、毎日、祈
るような気持ちで観ていた。
 それは確か、去年の初めのこと。彼らの奮闘努力のおかげ
で、その後しばらくは、感染者も、ずいぶんとうちわで、あ
あ良かったと、胸をなでおろした。
 それから数か月のうちに、大流行が始まった。
 ホテルにとめおかれ、二週間、様子を観察されていた乗客
たちの方々の身の上を思いやった。
 その後、欧州や他の国々で、感染が大流行となり、渡欧し
ていた我が国の人々が、飛行機で帰国されるようになった。
 その際も、防疫体制が、きちんと働いたはずだったが、実
際はいかがなものだったろう。
 若干の器具を抱かざるをえない。 
 先日テレビで、いずれかの医療関係の大学の先生のご意見
を拝聴する機会があった。
 なにやら、それにやられると、従来のものより重症化する
リスクが高いとおっしゃる。ほかにも重要なことをいくつか
おっしゃったように思うが、忘れてしまった。
 さて、新型コロナワクチンに対するワクチン接種のことだ
が、それは、初め、医療関係者に対して行われた。
 ちょっとばかり、アレルギー体質のわたしは副反応が気が
かりで、そのことにおおいに注目していた。
 アナフィラキー・ショックが、その最たるものである。
 政府・厚労省が懸命に努力され、手に入れられたワクチン。
 欧米の方にくらべ、ちよっと、副反応の割合が高いなと思
った。
 どうしてだろう。わたしは考え込んでしまった。我が国に
おける流行をみていると、罹患された人々の重症率が低い。
 小さいころから、BCGや麻疹など、きちんと接種を受けて
いるせいだろうか。
 わたしなどが悩んだところで、どうなるものでもない。
 ここで、今は亡き著名な批評家、小林秀雄さんに登場いた
だこう。
 以下は「考えるヒント」からの抜粋。
 「さて、そういう次第で、原稿の先きを続けるわけである
が、常識を守ることは難しいのである。文明が、やたらに専
門家を要求しているからだ。私達常識人は、専門的知識に、お
どかされ通しで、気が弱くなっている。私のように、常識の
健全性を、専門家に確かめてもらうというような面白くない
事にもなる。機械だってそうで、私達には、日に新たな機械
の生活上の利用で手一杯で、その原理や構造に通ずる暇なぞ
誰にもありはしない。科学の成果を、ただ実生活の上で利
用するに足るだけの生半可な科学的知識を、私達は持ってい
るに過ぎない。これは致し方のない事だとしても、そんな生
半可の知識でも、ともかく知識である事には変わりはないと
いう馬鹿な考えは捨てた方がよい。その点では、現代の知識
人の多くが、どうにもならぬ科学軽信家になり下がっている
ように思われる。少し常識を働かせて反省すれば、私達の置
かれている実情ははっきりするであろう。どうしてどんな具
合に利くのかは知らずに、ペニシリンの注射をして貰う私達
の精神の実情は、未開地の土人の頭脳状態とさしたる変わり
はない筈だ。一方、常識人をあなどり、何かと言えば、専門
家風を吹かしたがる専門家達にしてみても、専門外の学問に
ついては、無知蒙昧であるより他はあるまい。この不思議な
傾向は、日々深刻になるであろう」
 きたるべきワクチン接種に、私達は、どのような態度での
ぞめばよいのだろう。 
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MAY  その88

2021-04-08 17:50:32 | 小説
 湖のほとりにいつくかの古い建物がひっそ
りとたたずんでいるのがみえる。
 それらはいずれも、長い年月の間、風雪に
耐えてきたらしく、屋根がこわれたり、外壁
がくずれたりしている。
 どちらも原色は使われておらず、まわりの
景観をできるだけそこなわないように、との
建て主の配慮が感じられる。
 ニッキはそのうちのひとつを選び、内外と
もきれいに修繕したうえ、メイに使わせた。
 陽ざしがまぶしく感じられ始めてからどれ
くらい経っただろう。
 岸辺から湖に向かってのびる、木材で造ら
れた桟橋の土台の杭に、がんこなまでにぶら
下がっていた大小のつららが解け、杭に打ち
寄せる波が、ちゃぷちゃぷとうれしげな音を
立てている。
 透明な強化ガラスでおおわれたベランダで
置かれた長椅子の上で、メイがすやすや眠っ
ている。
 春の陽射しがベランダ内部の空気を、午睡
にふさわしい温度にまで高めていた。
 しばらくして森林管理者のジープが、ゆっ
くりとメイの住まいのわき道にとまった。
 ニッキが助手席のドアを開けながら、若い
運転手に向かって、
 「いや、ありがとう。一時間後にまたお会
いしましょう。その間に、何か異常があれば、
即連絡ください」
 「わかりました」
 高床式になっている建物に入ろうと、ニッ
キが階段を上がっていく。
 玄関のチャイムを鳴らしたが、応答がない。
 メイが湖畔を散策しているに違いないと思
い、ニッキは建物わきから岸辺にでた。
 用心して歩くが、ごつごつした赤茶けた岩
があまりに多い。
 そのひとつにつまずき、あやうく転がりそ
うになったが、岩の間に根をはって大きくなっ
た白樺の幹につかまり、体をささえることが
できた。
 「ふうっ、あぶない、あぶない。もう少し
足腰を鍛えないとな。いざというときにこれ
では後れをとってしまう」
 ニッキは苦笑いしながらつぶやいた。
 湖畔から、一羽、二羽と、白鳥が飛び立っ
ていく。
 向こう岸に、黒いけものが一頭、歩いてい
るのを見えた。
 それはふいに水の中にとび込み、その頑丈
な前足を横に振った。
 何か白いものが水しぶきとともに、岸辺に
打ち上げられたとたん、もうひとつ小さな黒
いものが藪の中からとびだしてきた。
 熊の親子連れだろうと、ニッキは思った。
 親熊は、一度、うおっと鳴き。子熊を威嚇
する態度をとったが、あとは、子熊に任せた
らしい。
 並んで、白いものを食べはじめた。
 (いいものを見せてもらった。こんな厳しい
ところで生きぬくのは容易じゃないことを教
えているのだろう)
 ニッキはそう思い、メイの住まいに戻った
が、メイはやはりチャイムに応じなかった。
 玄関のドアを、強く、二三度ノックするが
メイが出てくる気配がない。
 不審に思ったニッキは、開けるよと言って
から、そこに入りこんだ。
 ベランダで、メイが本を読んでいるのを確
認したとき、 
 「メイ、そこにいたんだ。いくら湖畔を探
してもいないから、どこへ行ったのか、心配
してたんだ」
 微笑みながら、ニッキが言った。  
 「ごめんなさい。あんまり暖かいから眠っ
てしまったみたいで……」
 「それならいいんだ。疲れてるんだよ、きっ
と。湖畔の見回りは、ぼくが済ませておいた
からね」
 「ありがとう」
 「白鳥が次々と飛び去って行ってるみたい
だね」
 「ええ、こんなに暖かくなったんだものね。
いつまでもいられないでしょうから」
 「なるほど」
 「コーヒーはいかが?前よりうまくなった
から気に入ると思うわ」
 「ああ、楽しみだね」
 湖の上を、突然、一陣の強風が通りすぎた。
 山岳地帯から灰色の雲がむくむくあらわれ、
見る間に湖の上空をおおった。
 雷鳴が山あいにとどろきだした。
 

 
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職人になりたい。  その6

2021-04-05 21:42:29 | 小説
 街でたまたま見かけた女性が自分に声を
かけてきた。
 そのことが、翔太を大変喜ばせた。
 S店の森田店長の願いにも通じることで
とても幸先がいいと、翔太は思う。
 彼女はどうやらS店の常連客らしい。
 これからも翔太が店で働いているかぎり、
今回のような出会いがいくども自分の身に
起きるだろう。
 このようにしてひとりふたりと知り合い
が増えていけばいいなと思う。
 むずかしいのは、これから先。翔太は以
前から異性の友人、もしくは恋人を持つこ
とを願っていた。
 (水商売やってるって自分でおっしゃる
けど、ずいぶんとしっかりしていらっしゃ
る。この人を、これ以上、足止めするには
どうしたらいいだろう。断られたら、はい
そうですか、と潔くいえばいいことだ)
 彼はそう思い、一計を案じた。
 ここ二、三日、翔太が気になってしかた
がないこと。
 夢の中にでてきたろくろ首の女は、まあ
まぼろしと考えるとして、それから、これ
は現実のことだが、ある日の午後、アパー
トの自分の部屋のドアを、誰かが、トント
ンとノックした。 
 それらが、自分の脳裏に、鮮やかに焼き
付いている。
 夢の女とドアをノックした人間が同一人
物か、そうでないか。
 人が聞いたら笑うかもしれない。
 自分で考えているぶんには、だれに迷惑
をかけるわけでもない。
 翔太は、なんとかして、確かめてみたい
と思った。 
 それじゃね、とくるりと体をまわし、改
札口に向かおうとした女の背中に、翔太が
おずおずと声をかけた。
 「あのう、すみません、つかぬことをお
うかがいしますが……」
 えっ、と言って、彼女は翔太のほうにぐ
いっと首をまわした。
 翔太はとっさに、ろくろ首を思い出す。
 「あっ、あのう、ゆめの……」
 そう言いかけて、翔太は、あやうく二三
歩あとずさりしそうになったが、懸命にこ
らえた。
 女は翔太のもの言いがおかしかったのか
ふふっと笑った。
 「ゆめ、夢がどうしたの。わるい夢でも
見たのかしら。きっと、あなた、疲れてる
んでしょう」 
 「ちょっとね、わたしね……」
 そう言いながら、彼女は持っていたハン
ドバッグのチャックの口をジーッと音立て
て開けた。
 キャビンの赤い箱の中から、紙巻たばこ
を一本取りだすなり、紅い唇でくわえた。
 金色のライターの発火装置を、細くて白
い指先で器用にあやつりながら、上手に火
を作った。
 女がほほをへこませると、見る間にたば
この先が燃え上がる。 
 「なあに、その深刻そうな顔は?いった
いどうしたの。わたしね、あんまり時間が
ないの。これから列車に乗るのよ」
 たばこの煙を吐きながら、彼女は言った。
 翔太はせき込みそうになるのを、ぐっと
我慢した。
 「す、すみません。いいです、いいです。
ちょっと、お話させていただきたいと思っ
ただけなんです。ぼ、ぼく、この街に知り
合いがいませんから」
 翔太は正直に自分の思いを口にした。
 「へえ、そうなんだ。あなた、さびしい
身の上なんだ。とっても若いし、ね。そう
じゃないのかなって、思ってたの、前から
すっとね、わたし」
 「そうだったんですか」
 「ええ、そうよ」
 スパッとトマトでも切るような調子で彼
女は言った。
 バッグから、空き缶を取り出した。
 吸いさしのたばこの燃えた部分を、飲み
口の付近でもみ消すと、
 「行きたいところもあるけど、まあ今日
でなくてもいいの。じゃあ、ちょっと付き
合ってあげる。寒いしね。ちょっといっぱ
いひっかけてあったまりたいわ。あなたは
わたしのわきでラーメン食べるといいわ。ひ
ょっとして未成年みたい」
 「いいえ」
 「そう、良かった」
 女は、あずき色のコートの左手袖口から、
ぬっと彼女の手を突き出し、翔太の右手を
つかんだ。 

 
 
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エイプリル・フール

2021-04-01 23:36:16 | 随筆
 コロナ禍の世の中。
 「三密」回避の大号令が大手をふってま
かりとおる。
 マスコミは、日々の感染状況を、こと細
かに知らせる。
 人々は、ますます恐怖をつのらせ、彼ら
の行動が萎縮するばかりだ。
 まさに新型ウイルスとの戦いのさなかで
ある。
 外出するのに、気を遣う。あわてている
時はなおさらである。
 マスクを着用しているかどうか気になっ
て、思わず、口のあたりを指でまさぐった
りする。
 この日の夕刻のこと。
 「お父さん、マスク忘れちゃった」
 家内の言いつけで、夕食のコロッケを買
い求めに行こうと走り出した車内で、助手
席に乗った息子が言った。
 何かとんでもないことをしたというよう
な顔で、目を丸くする。
 「そうか。それなら仕方ない」
 わたしは真剣な表情で答え、五、六十メ
ートル、車を慎重にバックし、家の玄関か
ら彼が現れるのを待った。
 どうやら、マスクなしでいるときに、息
子は誰かにそのことを指摘されたことがあっ
たらしい。
 よほど叱られたか、それとも……。
 わたしも曲がりなりにも親。息子の苦渋
が見て取れた。
 さて、エイプリルフール。
 今日は、四月馬鹿である。
 昔は、互いに罪のない嘘をつき、友人同
士互いの親交をふかめあうきっかけになっ
たりしたものだ。
 しかし昨今では、わたしたちが若かった
ころほど、若者の間で人気がない。
 もともと、これは、外国から来た風習。
 日本へは、大正時代に伝わった。
 だが、その意味内容がまったく違った。
 「不義理の日」だった。
 ふだん、義理を欠いている人に、手紙な
どで挨拶して、ご無沙汰をわびたという。
 フランスでは、新年を四月一日として祭
りを開催していたが、1564年にフラン
ス王シャルル9世によって、一月一日を新
年とするグレゴリオ暦が採用された。それ
に反発した人々が、四月一日を「嘘の新年」
としてバカ騒ぎするようになり、エイプリ
ルフールの風習となった。
 (インターネット調べ)
 興味のある方は、スマホで調べられると
いい。
 いま一度、わが家の夕刻にもどる。
 ほんの少し前、マスクの不着用などまっ
たく問題にならないし、その値段が急に天
井知らずにあがるなんてことは考えられも
しなかった。
 「マスク?どうしてつけるんだい。風邪
でもひいたのか。咳がコンコンでてるんな
らしょうがないけど、むりしてにつけなくっ
たって、わざわざ家まで引っ返すこともな
いだろが……。それともお父さんこと、か
ついでるのかい。確かきょうはエイプリル
フールだったね」
 そう言って、息子をなぐさめてやること
ができた。
 そんな日が、つくづく懐かしいと思う。
 
 
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