小彼岸桜のズクなし写真ブログ

デジタタルカメラで小旅行や近場の被写体を自分流で写し止めたものを不定期に更新していきます。

足利学校 其の2 最終 (1024年05月05日 曇 EOS5Ⅲ)

2014年05月27日 | EF24-70mmF4L IS
                  足利学校 其の2 最終 です。

               方丈のすぐ隣の庫裡。(学校の台所。食堂など日常生活が行われて居ました。

               




               チョット為になる事が書いて有ります。よく読んでみて下さい。

               




               程よい所で安定しますが、過剰に入れると入れ物が傾いで水はこぼれます。

               




               鍋や釜があります。

               




                                  上杉憲実。室町時代に活躍した、足利学校の先生である。

                                  




               左は孔子ですが、真ん中の顔子は?聖人の道を学ぶ孔子の門には、
               その門徒は三千人もいました。
               その中で孔子はただ一人、顔子(がんし: 孔子の門人の顔 回(がんかい)の尊称)
               だけを学問を好む者とみなしていました。

               




               南庭園。全体を撮ってないのでしょうがないですが、ツルが羽ばたいて居る様に見えるらしい。

               




               衆。(学生が勉強したり生活したりして居た所)。

               




               北庭園からみた孔子廟。

               




               方丈の裏側。

               




               孔子廟の別の姿。

               




               帰り際の竹と竹の子。右側の建物は旧遺跡図書館。

               




                                        未だ食べれそうな竹の子。

                                        




                帰りの門の所へ丁度、ユルキャラの「あしかがし」が入って来ました。

                



                足利学校を終了します。
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足利学校 其の1 (1024年05月05日 曇 EOS5Ⅲ)

2014年05月27日 | EF24-70mmF4L IS
               足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期です。

               室町初期に下野国足利庄に設立された漢学研修の施設。


               足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励んでいた。

               





               江戸時代末期まで続き、「学徒3千」と云われる程までに成って居た。
               つまり中世の高等)教育機関だったのですね。
               学校の裏門です。

               





               明治(めいじ)初期にはほとんど建物があるだけになっており、明治5年(1872年)に廃校となりました。

               




          隣接の私有地との境目の花。                                    孔子様。

               



               学校門。(1668年の創建)

               




               学校門を潜って(くぐって)内側からの門。

               




               学校門から前に進むと杏壇門。(きょうだんもん)が有ります。
               現在でいう教師の立つ所です。いつしか教壇になったのですね。
               (孔子が弟子たちを教えた所に、杏の木が植えられていたことに由来しているようです)

               




                                       上の門の屋根の下に微かに見える字は、この様に書かれています。

                                       





               方丈(ほうじょう)。がくせいの講義や学習、学校行事や、接客のための座敷として使用された所。

               




               孔子廟(こうしびょう)。1668年徳川幕府時代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の
               聖廟(せいびょう)を模したものと伝えられています。
               聖廟とは聖人をまつった廟で中国では孔子を、日本では菅原 道真をまつった廟。
               (そして廟とは祖先の霊を祭る場所ですが、仏壇とは違い母屋の中には無く、霊廟専用の 別棟がある)。

               



               其の2、完了へ続きます。
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