足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期です。
室町初期に下野国足利庄に設立された漢学研修の施設。
足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励んでいた。

江戸時代末期まで続き、「学徒3千」と云われる程までに成って居た。
つまり中世の高等)教育機関だったのですね。
学校の裏門です。

明治(めいじ)初期にはほとんど建物があるだけになっており、明治5年(1872年)に廃校となりました。

隣接の私有地との境目の花。 孔子様。

学校門。(1668年の創建)

学校門を潜って(くぐって)内側からの門。

学校門から前に進むと杏壇門。(きょうだんもん)が有ります。
現在でいう教師の立つ所です。いつしか教壇になったのですね。
(孔子が弟子たちを教えた所に、杏の木が植えられていたことに由来しているようです)

上の門の屋根の下に微かに見える字は、この様に書かれています。

方丈(ほうじょう)。がくせいの講義や学習、学校行事や、接客のための座敷として使用された所。

孔子廟(こうしびょう)。1668年徳川幕府時代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の
聖廟(せいびょう)を模したものと伝えられています。
聖廟とは聖人をまつった廟で中国では孔子を、日本では菅原 道真をまつった廟。
(そして廟とは祖先の霊を祭る場所ですが、仏壇とは違い母屋の中には無く、霊廟専用の 別棟がある)。

其の2、完了へ続きます。
室町初期に下野国足利庄に設立された漢学研修の施設。
足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励んでいた。

江戸時代末期まで続き、「学徒3千」と云われる程までに成って居た。
つまり中世の高等)教育機関だったのですね。
学校の裏門です。

明治(めいじ)初期にはほとんど建物があるだけになっており、明治5年(1872年)に廃校となりました。

隣接の私有地との境目の花。 孔子様。


学校門。(1668年の創建)

学校門を潜って(くぐって)内側からの門。

学校門から前に進むと杏壇門。(きょうだんもん)が有ります。
現在でいう教師の立つ所です。いつしか教壇になったのですね。
(孔子が弟子たちを教えた所に、杏の木が植えられていたことに由来しているようです)

上の門の屋根の下に微かに見える字は、この様に書かれています。

方丈(ほうじょう)。がくせいの講義や学習、学校行事や、接客のための座敷として使用された所。

孔子廟(こうしびょう)。1668年徳川幕府時代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の
聖廟(せいびょう)を模したものと伝えられています。
聖廟とは聖人をまつった廟で中国では孔子を、日本では菅原 道真をまつった廟。
(そして廟とは祖先の霊を祭る場所ですが、仏壇とは違い母屋の中には無く、霊廟専用の 別棟がある)。

其の2、完了へ続きます。