青葉若葉の日の光

2022-04-19 12:32:55 | 日記
4月19日 福岡では、お空はやや黄色のどんよりと、黄砂なのでしょうか。
春盛、わが家のモッコウバラがまんかいです。爺さんも元気です(余計なことか)。


グーたら娘は、爺さんの布団に勝手に上がって、いびきをかいて昼寝をしております。


4月16日 町内会総会 全186世帯、コロナのため3年ぶりに開催できました。もっとも出席者は30名ほど、あとは委任状提出です。司会進行をする。また2年間、役員続行です。

17日 日曜日 佐賀の「毎月フルマラソン@石井樋」に参加させていただきました。快晴、爽やかな風、八重桜は満開でしたが、ソメイヨシノはすでに青葉となっていました。
今回は、参加者も9名と少なかったようです。20km 2時間15分45秒 6,45/㎞ でした。これしきなら、大濠公園でも、春日公園でもよかろうもん、と言われそうですが、爺さんは賑やかなとこは苦手です。青葉若葉の日の光の下、ここは「申し訳ないがぁ気分がいい~♬」
(canonのカラビナカメラに映像が保存されてませんでした。残念)

「佐賀ポカポカ温泉」で汗を流して、「春駒」食堂へ。じつに20数年ぶり。やはり、皿うどんは、何とも言えず美味しかったです。

千代田町「下村湖人生家」を見学に行きます。旧制鹿島中学、唐津中学、台北高校校長を歴任ののち、青年教育に努め、『論語物語』『次郎物語』で知られる。残された手帳の書き込みや、色紙揮毫に人格に触れた思いで、行ってよかったな。なお、江戸時代中期の儒学者、儒医である向井元升は、ここから100mほどのところの出身である(近世文学研究者の佐賀大学名誉教授Ⅰ先生によれば)ので、生家の案内をしてあるボランティアの人に尋ねてみたが、何も残っていないし、わからない、であった。その子息が、芭蕉の高弟、『去来抄』を残した向井去来。川べりの小さな農家集落であったろうが、何という偉大な人達を産んだところなのだろう。

町内会から、役員勤めご苦労さんとして、3万円いただきました。今年も、シューズに化けました。ONのcloudflow。「大村湾」で100km履きましたが、豆もできず、「橘湾岸」で履くことにしました。

超長距離は、HOKAのクリフトンを履いてきたのですが、爺さんはこれで必ずこけちゃいます。つま先が上がってないからでしょう。重量ゴムのインソールを入れて普段履きにしています。片足641g。少しは脚力の衰え防止になるでしょうか。


「橘湾岸スーパーマラニック」の秋の大会の日程が早々と発表されました。爺さんは、いよいよ2週間後の春の「Ⅼ173㎞」を完走しないと、エントリー資格がもらえません。背水の陣と言う、まさに危機であります。