和歌山との県境付近の山間部に、小さな山村集落が存在する。「流谷集落」といって、何でもその昔京都の石清水八幡宮の荘園だった集落のようだ。ムラ中の急な山の斜面に「流谷八幡神社」が存在するが、イチョウの大木があって見事な光景を醸し出すので、時折訪ねるようにしている。この神社には不思議な習俗があって、「縄掛けの神事」という伝統が今なお息づいている。簡単にご紹介すると、集落の出入り口に注連縄を張り巡らし結界を作って疫病や不審者の侵入を防止するという神事だ。毎年1月の上旬に実施されるようだが、タイミングが合わず直接的な参加は未だ実現していない。
今年も遅れてしまって2月に入ってからの訪問とあいなった。彼方此方に残雪が残る中、登山者に混じって細い林道を登っていく。見慣れた赤い橋が視界に入ってくる。橋の手前に数台分の駐車場があり、参拝者はほぼ存在しないので駐車は可能だ。イチョウの大木が紅葉する頃は周囲の樹木で目撃しずらいのだが、冬場はよく見える。此処のイチョウは一見の価値ありかと、暇な折には是非にお訪ねを。
さて肝心の注連縄だが、本年も既に張り渡してあった。集落の中程を流れる小川の上に、まるで国境線のゲートのようだ。その昔は河川に沿って道が付いていたのだろう。麓の街中から疫病などが侵入する恐れがあって、警戒したのではなかろうか。現在のように医学が発達して無かった時代、例の流行り病みたいな感染症が蔓延したのかも知れない。対策が無くて神仏に祈ったのであろうと思う。この地に神社を設けたのも、石清水八幡宮の神通力に頼ろうとしたのでは無いだろうか。
こうした風習は各地に存在するようで、過去には明日香村の稲渕まで見学に出向いたことがある。当地近辺で残っているのは「流谷集落」ぐらいで他には見当たらないようだ。恐らくだが、各地に存在したものの集落の大規模化と都市化の波で次第に廃れていったのでは無いだろうか。明日香村では伝統が観光資源ともなってるようで、多くの観光客やカメラマン氏が詰めかけていた。
流谷神社には「縄掛けの神事」以外にも「湯立て神事」の伝統も残っている。西暦1336年に後醍醐天皇が奉納された「湯立ての釜」が残されており展示されてるので、興味がおありであればお立ち寄りを。