少し時間が遅れて農園へと出向いた。閑散としているので、本日は誰も出動が無いのかと思いきや、遠方に微かな人影が。体型から見て、どうやら「大御所」の模様。黙々と作業中のようだ。彼は仲間内での最高齢者、農作業も負担かと思われるのに、一回り以上も違う子狸よりも遙かに体力強靱だ。背筋は伸び、疲れは見られ無いようで、黙々と鍬をふるっている。その姿には、某かの神々しさが見られるようで、神がかっていると言えば少々オーバーだろうか。一芸に専念する者だけが放つ独特なオーラーだろう。新田次郎氏の作品、「孤高の人」の主人公である加藤文太郎を彷彿とさせる人物像の様だ。
しばらく声がけしないで観察してみようと思う。カメラは望遠に切り替えておこう。作業内容は遠目なので把握しづらいが、鍬の使用から見て畝立ての準備中かと思われる。彼はトラクター専用派で、ミニ耕耘機はほぼ使用しない。トラクターで不可の場合は、専ら鍬とスコップ活用のタイプだ。体力に自信がある故の選択かも知れない。子狸には真似の出来ないスタイルである。
今は11月の初旬、農園ではタマネギとエンドウの準備が進行中だ。彼の作業状況は不明だが、畝立ての下準備が可能性が高いかな。エンドウにしてもタマネギにしても、下準備として畝作りが要求される。スペース的には少々狭い感じはするが、彼のことだから数カ所への「分散植栽」かも知れない。とにかく隙間の耕地があれば、某かの植え付けを試みる御仁だ。戦中・戦後の混乱期を潜ってきたタイプだから、「もったいない精神」が充満しているのだろう。我々も見習う必要性がある側面だ。
一仕事終えたら場所替えみたい、愛用のサトイモ畑へと移動した模様だ。彼のサトイモは既に収穫期、いつもの「イモ掘り体験」のイベントが実施未了で少々寂しげだ。観光での来村客も無い事は無いが、彼のお眼鏡に叶うような人物とは遭遇出来てない模様。人間には相性と洞察力がある。一瞬の遭遇で、農作業への可能性を見極めるのだろう。お眼鏡に叶う人物達が現れて、賑やかなイベント開催が始まって欲しいものだ。
余り遠目に眺め続けるのも失礼だろう。程々にして、挨拶を交わし作業に入ろうかと思う。何時もの、オッ・お早う、との返答が帰ってきた。本日も晴天、平穏な模様だ。仲良く汗をかきながら、一仕事に励みますか。澄み渡った青空が何とも眩しい。青空を見上げながら作業に従事できる幸福を噛みしめている。