こんなのが入って来まして。
お解りの方はもう解ってらっしゃるから別として
コロン・・・。
あれ?
これだけ?
あ・・・そう・・・・。
そうなんだ・・・・。
知らなかった。
なんかゲージとか工具が入っていると思っていた。
しかもなんか削り痕がある結構ラフな代物。
英語読めません。
高さってどうやんですか?
ま、いいや・・・。
塗装工事開始です。
別売りのアルミサッシも
いさみやのカラープライマーでしゅっと。
一気に吹いたんですけどね。
また磨きをかけないといけないという無様な結果となりまして。
ホコリとかさ、ぶつぶつとかさ。
ああ・・・つぶつぶってる。
もう!
神経使うなぁ・・・。
磨きこまないと。
こっちはマシか・・・。
何日かかかるよまたこれ。
↑これについてはレタリングがまだ確保されていないな。まずいな。
785系については前も書いたかも知れませんが、ちょっと追加で解ったこともあったり、まぁ要はモデルやってないんです。(´・ω・`)
イチバン手持ちの古い写真。
完全原型時代ですね。
編成は4連と2連に別れていて、4連で走ったり4+2連の6連で走ったり。
2連で旭川から片往復で「モーニングライナー」として走ったこともありました。
4連は0番台5本
2連は500番台5本でしたが、
指定席Uシートを連結する必要になり、全て5連として組成することとなった時
4連は普通に挟んで5連に
2連は2+2に+1ということで挟んで2+3の5連2本の組成になりました。
4連×5 2連×5 30両の陣営が
5連貫通編成×5 2+3編成×2 余剰2連 の37両在籍稼働35両 となり
2連が青函改造で復帰して 37両中35両が札幌区、2両が函館区
となって今に至ります。
廃車はありません。
形式間改造は青函用の2両が【クハ785-105→クハ784-303】 【クモハ785-105→モハ785-303】のようです。
挟んだUシートは0番台組込用にはパンタあり。500番台組込用にはパンタ無しのUシート車両などの差異があります。
で、余ったのは
NE105編成が余剰となり、それはそれは長いこと、部品を外されつつ放牧された後、昨年イキナリ青函用として真緑に塗装されたり形式変更を加えられて函館に転属したことは記憶にあたらしいところです。
写真でもクーラーがありませんが、座席もありませんでした。
5連になったものは、スカートに着雪防止の工夫である丸穴や、ヘッドライト交換、愛称表示器をLEDを取り替えて色数アップ、窓は強化ポリカーボーネードを貼り付けたり、デフレクターという着雪防止の「箱型のひれ」を取り付け。
写真の後にはパンタグラフもシングルアームに交換されて、結構な変化が見られます。
ほぼ同じ地点の真冬です。
北海道の走行にはこうなる。という見本です。
巻き上げた雪は後面にベッタリと張り付き、札幌でスイッチバックをして展開する運用には困るのです。
こうなっちゃいます。
運転席から前が見えませんよね。
熱線ガラスなんて全く歯がたたない状況もあるということです。
で、箱型のヒレをつけるとどうなるか?
答えは
これ。
見事だと思いませんか?
屋根を走り抜ける走行風を前面ガラスに吹き降ろすことで、着雪を防ぐ「吹き落とす」という優れものです。
格好わるいのですが、効果は抜群ということなんです。
(スカートの穴も効果的に着雪の減少に効果が出ていますね?)
箱型のヒレは、ほかに応用を考えたらしく
キハ143-104は床下カバーとともに2~3シーズンくらい試着したり
(本採用にはなりませんでした)
781系には本格装備。
こんな状態で取り付けました。
「シンプルな箱型のもの」です。
吹き出し口が見えますね?
かなりイカツイですが、実用になる装備が次々に取り付けられました。
元2連だった501
中間封じ込め部分があるのは2本です。
0番台の中間車。
0番台の中間車。
0番台組み込みのUシート車
パンタがあります
が、このパンタは2個上の写真と異なりシングルですね。
実はパンタの交換は編成単位ではなく
この写真のように、後年製造したUシート車も最初は下枠交差型でしたが、あっさりとすぐ、シングルパンタに交換され、その後、在来車を交換するという流れでありました。
ただ、Uシート車だけではなく500番台編成でも旭川側のものから交換。
ですから、Uシート入り5連の時代で両方下枠交差型の写真は1年かそこら。
旭川川だけシングルパンタの共存時代もまた1年そこらでありました。
2002年~2004年くらいの時間軸です。
いろいろな785系写真を見ると、それでおおよその時間軸が見えてくると思います。
0番台の札幌側先頭車
500番台ではここの車にパンタが取り付けられています。
(編成で一個という考え方が原型)
500番台編成は2本と書きました。
その突き合わせ部分はこれも時代変遷があります。
これが初期の姿です。
封じ込めする際に、「箱型のヒレ」とワイパー、スカートの「着雪して面倒な事になる」部品だけ取り去った状態です。
ただ、まだ保安機器なども取り付けられていたようです。
窓ガラスもポリカーボーネードを切り継いで貼りあわせて保護しました。
フランケン状態です。
で、
2005年くらいに
更に中間車化を進化させます。
見た限りですが
「保安装置の撤去をしたらしい」「ホイッスルも撤去」「ドアをどうもパテ埋めした?」らしい。
それが比較出来る写真が
これです。
上が施工前。
下が現在です。
ドアが鉄板で継ぎ塞ぎかと思ったのですが、パテ充填っぽいのです。
形式上は「制御車」であり「制御電動車」ですが、既にそういう状態にはありませんね。
旧状態では見受けられるホイッスルも、信号炎管も現在は無くなっていることが解ります。
こんど結構大きな変化があった屋根上を撮ってくると面白そうです。
↑鉄部の鋼体交換しても客室が増えるわけではないですから致し方がないいでしょうか。
まず、遠目ででの保管状態です。
一眼レフレンズは網目にかかるくらいのメッシュのフェンスに覆われて、管理されています。
3方をフェンス。
一方は海です。
まず入ることはできません。
管理カメラもあるようですよ。
で、中にはコンクリブロックが何個かありますが目視を妨げる目的ではないようです。
取り付け道から海方向を見る。
結構堂々と置かれています。
さっきと反対側を
もちろんこちらにもフェンスがあります。
残念ながら、141型が海側に顔を向けており、その床下が撮りたかったのですが、こうして鉄骨が保管してあり撮影できませんでした。
無念です。
惜しい・・・。
ではコンデジで取れる範囲で撮ったものを紹介します。
イチデジなんぞ高級品は持っておりません。
これが限界ズームです。
これでキハ141がどの車番並びか判定する材料になります。
反対側から。
ズームに欲張って全部はいるように撮っていませんでした。
スカートの出っ張り具合が、遠目からの角度(歪みの少ないフラットな角度)で見られたのは貴重でした。
手前が2エンジンのキハ142のおしり。
次がキハ141の頭ですね。
この写真を解析して作ったのが
この並び図です。
これから各社のディテール研究をしていく資料にします。
拡大。
ここから、各車分析をはじめて行きます。
↑実はやり始めたら、簡単に整理がつか無くなって来まして・・・整理になってない。
室蘭港に輸出のために準備されたガソリンタンク車たちです。
意外と少ないなと思ったのは気のせいでしょうか。
貨車ならもっと汎用性があるので、輸出に力が入ってもいいのではないかなと思うもんですが。
吐出口とか問題があるかな?
輸出されるのはタキ43000が4台と
タキ38000が2台のようです。
陳腐なカメラですので引ききれませんでした。
(フェンスの輪の中にレンズちょいと入れただけですので)
全て、日本オイルターミナルっと。
輸入国は積荷も欲しいところでしょう。
それは日本も同じだw
列的には2列
海側にタキ38000が2台、山側にタキ43000が4台並んでいます。
台車は国際的にも結構、例のあるスタイルだから問題あまり無さそうなんですがどうなんでしょう。
番号を書き出します。
タキ43217
タキ43180
タキ43152
タキ43184
タキ38059
タキ38055
の6台。
タキ38000はどちらも本輪西駅。
タキ43180が本輪西駅
タキ43217とタキ43152とタキ43184が根岸駅。
の常備記載でした。
順番は下記のようになっていました。
クリックで拡大します。
水色は海です。
破線は柵を意味し、法律で立ち入りが禁じられているとの看板で保護された区域を表します。
↑ほとんど詳しくないのでコノあたりで。
土曜日のよる9時くらいから家を出まして、
2時間くらいの仮眠以外24j間遊び倒してしまいました。
ストレス発散かも知れません。
室蘭苫小牧地域で色々見て体験して出会って来ました。
苫小牧4時49分。
朝一運用に711系の原色編成がスタンバイしていました。
これが半日、ほぼお付き合いすることになります。
気になっったこと。
苫小牧滞留編成は
1番ホームに731系3連
東側に721-731系6連
北側電留線にこの731-721系6連が2本
711系現色3連が1本でした。
そのうちこの編成のみ、なんと号車札が刺さっています。
6連対応で。
固定組成になっているのでしょうか。
これは東側留置の6連一本。
改札が開きます。
やって来ました。
なんか一両オハ14が非運用部分に連結されています。
11連でした。
オハ14-515 5機のうち3機ほどピカピカの新型クーラに衣替えされています。
このオハ14-508は5基中函館方向3機が新型。
オハ14-507は全て旧型原型。
カーペットカーオハ14-512は4基中札幌側1機が新型。
新型クーラー。
暖地型Au13に先祖返りしたっぽいデザインですが、網目が異なりステンレス製です。
恐らく冷媒が新時代対応なのでしょう。
耐雪カバーがありません。
上からの撮影をしなくっちゃ。
いずれ作成したいですね。
HOで。
オハネフ25-3
開放式Bですね。
はまなす専用感がありましたが昨年くらいから、北斗星2号車がデュエットから北海道所属の開放式にチェンジされたため恐らくこの車も北斗星として上野に顔を久々に出していることと思います。
台車は変な話「原型のTR217C」です。
後からわかるこのなぞかけ。
オハネ24-503
先日書いた「オハネ14-500を改番したくらいの装備」の開放Bです。
これも北斗星に復帰したようです。
台車は14系500番台の特別台車である「TR217F」シリンダー台車装荷です。
ってスハネフ14-551です。
おや、本来TR217CでスハネフになったのでTR217Dになるはずですが、
なんとよく見るとTR217Fを履いています。
昔の写真を見てもどうだったので、かなり古い時代からFだったようです。
今まで気が付きませんでした。
あっという間に去っていきます。
5時05分 DF200単機回送が鷲別に疾走。
5時07分 DD51単機回送が札幌方面に疾走。
まだ貨物についてはいっぱい通過して豪華でした。
滞留編成。
左は6連用の号車札付き。
右は号車札なし。
5時52分
711系が起動して回送として2番線に入線。
実は日中は4番限定なので大変珍しいことです。
一番列車で東室蘭到着。
この列車は苫小牧から長万部に向かいます。
散歩がてらに東室蘭市内を東口から西口に市街地大回り1時間かけてぐるっとお散歩。
グルッと到着。
そうすると、こんな珍しい光景が。
2本の元色編成がどちらも室苫運用に入っていたのです。
3本中2本がこの色。
で、8時17分
同時に苫小牧と室蘭に出発していく光景が繰り広げられました。
実は711系元色編成は復元仕様に差があります。
最初に戻ったS110編成はなんと、「列番表示器」までも復元され、その列番表示器に編成番号を記載するという、誕生から2003年くらいの姿で復元されているのです。
これは正直びっくりの復元箇所です。
但しS110がATS-SNのままに対してS114はATS-DNに更新済みです。
後発のS114は助手席前面窓にステッカー貼り付けの最近の姿です。
8時47分
室蘭からS114が戻り、先ほどまでS110が居た場所に横付けされました。
そのまま一度引き上げ線に行きます。
さり気なく違う編成だけど欠損角度を補充。
引き上げ線で午後1時まで休憩のS114
165系などと微妙に寸法が異なるサイドビュー。
床板厚みがかなり異なるためいろいろなものが影響され位置が異なるのです。
ここが分厚いのです。
印象把握にいろいろな角度を撮っておきます。
115系や165系とは微妙に違うのが何となく解っていただけるでしょうか。
9時32分北斗星入線。
ここでツイッターフォロワーが2名乗車しているというので迎撃。
おひとりからレスポンスがあり「ネタタオルを掲げます」と。
(笑)
(笑)
って。
あらいやだ。
オハネフ25-8の台車はTR217Fだわ。
廃車の14系あたりから交換したのでしょうか。
北斗星はネタを抱えたまま行ってしまいました。
で、今度は一路長万部方面に。
本輪西を超えて
崎守駅に。
到着。
下車。
男3匹徹底的に歩きます。
有名なチップ貨車の代替トラックを眺めて、港に行きます。
チップ積み下ろしの陣屋町貨物支線は未だに存在します。
歩く歩く。
イタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!
何がって?
輸出用のPDCとキハ48 計15両です。
速報ニュースでも流れていましたが、陸揚げされて港湾地域に搬入されていました。
タンク車6両とともに。
岸壁の柵で覆われた場所に置かれていました。
振り返るとソコは白鳥大橋。
柵の中に忽然と21両の鉄道車両。
こちら正面はキハ141
尻を向けるはキハ142でした。
キハ48-301~303も居ました。
柵の目からレンズをニョッと。
詳しくは後日、形態分析をしてから記載します。
あくまで「形態分析しかしませんが」
こんなエキサイトなシーンですが、左右の岸壁では
釣り客が8組ほど、全くPDCには興味なく釣りを楽しんでいます。
大量の写真を撮って東室蘭にはバスで帰ります。
13時過ぎの苫小牧行きはお昼寝開けのS114
のんびり車をおいてある苫小牧に帰ります。
苫小牧では
またしても
赤い共演。
で、ここで20年ぶりの「鉄道写真の先輩Y氏」と社会人ルーキー時代の「お取引先プロカメラマンO氏」がペアでばったりあってしまう。
Y氏とは20年ぶり。
O氏は一緒に某JRの仕事でワークをしていた時は鉄ではなかったのに、すっかり鉄カメラマンに変貌して、
なぜその二人が繋がって行動しているのかと。
世の中分からない。
世の中狭い。
ダイヤを教えてもらい、糸井で写真と撮ったら札幌に戻って
お知り合いの模型運転会見学。
怒涛の展開。
さらに北斗星でネタタオルを掲げたグループと何故か合流して、
その後市内鉄道名所・夜のお散歩に連れ回す。
で、帰ったら23時。
長い一日でした。
存分に遊びました。
寝たのは苫小牧-室蘭間の列車の中だけ。
↑さすがに寝ます。
残った塗装。妻面。
まずまずかな?
なんとあなったかな?
修正吹き。
これくらいの部分塗装が無数に。
楕円形につやっている部分が追加の部分吹き。
6,000番のクロスで磨く。
繰り返し。
むらっぽい凹みも塗料で埋める。
時にはこれくらい。
屋根を最後にぼかす。
雨樋部分はこれ張り上げなんで浮かせたマスキングがわかります?
ぼかし吹きですm
こっから丁寧に解説してみます。
あ、なんか穴のように塗装が欠けてる。
ゴミ粒かなんかが剥離したな?
まずはマスク。
これくらいで充分。
物凄く薄い塗料を何回かに分けてぼかし点吹きします。
磨きます。
磨いてもほんのり、ボケゾーンが見えますね?
今度は幅を大きくとって、更にぼかし吹きをします。
今度はさらに水っぽく絞って吹きます。
かるく磨いて、これで全く自然に戻りました。
思い切りうすめ液とリターダーで薄めた半ツヤクリアを吹き当てます。
艶を出すようにしっかり何回かに分けて薄い、水艶層を出すイメージ。
で、乾燥させます。
まずは仕上がりました。
ここからインレタなどの作業ともう一度水っぽいクリアを吹く予定です。
合格としておきます。
床下機器もまぁ、ちゃんと冷房化改造されたものに見えますね?
ドアが青くなっていますが、514末期はこのようであったようです。
一方、製品のスハネ16(初期金箱)です。
台車だけの違いとおもいきや、妻面の幌、幌吊り、そして今日わかったのですが、デッキ足掛けも金箱から水色箱までの間に改善されていることが解りました。
ただ、どうでしょう。
改善の一個である台車ですが、
金箱(日光台車)
水色箱(トミーオリジナル)
ぶっちゃけ走りはトミーのほうが良いですが、イメージはTR47に関する限り、日光のほうがかなり良く見えるのは気のせいですか?
重量感もそうですが。
ただ、ブレーキシリンダーが日光は車輪に当てていませんので手前に出っ張っています。
それが堂々感を引き立たせすぎているかも知れません。
妻面は加工したほうが良くなりました。
あと、改良前は幌の沈み込み凹みが大きく取られすぎているのでイメージがよろしくないです。
だから改良したんでしょう。
この麺が一番514を主張しています。
こちらは加工が良かったのではないかと思います。
屋根一体化も効果ありでした。
現物です。
なぜか思ったより、側面雨樋撤去が目立たなかったなぁというのが本音です。
あまり強烈なイメージがでなくてよかったのかがっかりなのか。
さておき、この非冷房状態から2ヶ月でまずは形になりました。
http://blog.goo.ne.jp/komume1973/e/4848a8d27c98d92b09ce89867de5aa75
ここから始まっています。
寄り道も多いけど。
製品とは部品の位置が微妙に違いますが、問題ないレベルです。
まだインレタ、ドアノブ、内装の塗装など加工は残っていますけれどもね。
↑一段落というところです。
北斗星用としてオハネ14-500番台から改造されたものの、コンパートメント化によって北斗星から除外。
暫くはまなす用として活躍していたところ504のみ廃車となってミャンマーへ譲渡。
その直後、北東合併北斗星となりデュエット予備捻出のため編成を外れたデュエット車の代わりに開放Bである「はまなす落ち」していたグループが北斗星復帰。
のこり501~503が残って他のハネと共に北斗星運用に「共通運用でたまに入るようになった」オハネ24-500の記録です。
オハネフ24-500番台は特徴的な外観から結構注目されるのですが、この同時に改造されたオハネ24-500は極めて地味です。
姿形はオハネ14-500番台時代と・・・結構変わっており、「改番しただけだろう」とタカを括っていると「あれ?」ということになります。
デッキ側面から。
こちらは確かにオハネ14-500番台と何ら変わりません。
愛称サボ受けがないくらいでしょうか。
ドア横の狭い客窓は500番台改造時に埋めていますので。
原型オハネ14時代にはない台車装荷のブレーキシリンダーも北海道改造時そのままです。
ドア窓がHゴム支持であることが、14系由来24系ハネ車の特徴とも言えます。
北斗星の基本的な24系25型は金属抑えでHゴムが無いのです。
反対側面です。
クーラーは新型化されています。
ここ部分が14系500番台時代と変わる部分です。
これが今は廃車となったオハネ14-500番台(500番台としての原型)
元非常口だった窓が撤去され埋められていること、洗面台明かり取り窓がやはり埋めてしまっていることが改造点です。
すべての愛称札受けも取り外されていますね。
ところでこの車、平然といつも14系はまなす編成に繋がれています。
14系改造の24系が14系の運用にいつも入っている。
・・・・。
何のために改造改番したんでしょう?
オハネ14のまま北斗星に入っても良かったということじゃないでしょうか?
北海道にとって、14系は14系。24系は14系の上位互換系列扱いなのでしょうか?
+++++++++++++++++++++++++
さてこれだけでは面白く無いので
北斗星札サウ車両のややこしさというかルールがない状況というのは色いろあるのですが、
ドアHゴムとトイレ側妻面の車体角手すり、及びクーラーの相関についてちょっと足しておきます。
14系とは AU76クーラー(やや大きい)と角手すりは「角」にある。で、北海道ではこれに基本的に「Hゴムドア窓」であること。
24系25型とは AU77クーラー(やや小さい)と角手すりは「角よりちょっと側面」にある。で、北海道ではこれに基本的に「金属抑えドア窓」であること。
ややこしいのですけれども、本州の原型ルールはこれとまたちょっと異なり、本来原型の24系24型も角手すりは「角よりちょっと側面」にあるのですが、北海道にはその形が一台もない上に、北海道の24系24型は全て14系改造なのでそこ踏まえてください。
早速ぶっ壊すのがこれです。
スハネ25-561(デュエット)です。
形式上、24系25型ですが、Hゴム窓のドアがあります。
手すりも角です。
おおまかな特徴は14系のスタイルです。
クーラーだけ何故かAU77の25型用です。
それもそのはず、14系改造でしょ・・・と言いたいのですが
14系は14系でもオハ14-527改造です。
座 席 車 改造です。
つまり
「車体を台枠から全てバラしなおして新品車体を平成年間で全て作りなおした24系25型」なのに
ご丁寧に全てクーラーは25型になったのですが窓割りなどが14系の車体改造と同じ構造です。
(角手すりは原型14系寝台より上下に長い、更にスペシャル仕様!です)
すでに「何でそうなるの?」ということが共感いただけるでしょうか。
台枠こそ14系ですが上回りは全部24系25型設計でも良いじゃないの?と言いたい逸品です。
でこのデュエット。
561~565まで居ますが、
561-562はオハ14改造、
563-565はオハネ25改造です。
この2群で「通路側窓配置が全く異なります」
もちろん?563-565は24系25型が種ですから車体特徴は「順当に」24系25型でありドア窓もクーラーも手すりも24系25型様式です。
おまけですが、寝台側側面も違います。床下機器も全然配置が異なります。
私は思います。
「なんでどうせ作り直すなら窓割りも含めて24系25型様式にしなかったんだろう・・・
ドアくらいなら座席車流用でHゴムドアだったでもいいんですが、わざわざ新製した「写真の通路側窓割りが14系ベースに一個窓をトイレ側に足したもの」なんですね。
(しかもオハネ14→オハネ24-500番台の時にわざわざ埋めた部分)
ちなみにオハ14から北斗星用寝台車に改造したものは東日本にもあります。
まだ現役のオロハネ24-501(オハ14-186改造)
北海道の編成にお付き合いするためなのか、故障予備で尾久区に置いておくためなのかポツンと一両だけ「ロイヤルソロ」で作られた車です。
北海道仕様に合わせて作ってしまったがゆえ、東日本生粋のロイヤルソロとマルス発券扱いが一部異なるらしく、あくまで定期で入ることは稀とのことです。
この車は非常に律儀に24系25型車体になっておりまして、クーラーもAU77、手すりはもちろん「角よりちょっと車体中心より」です。
ほぼ24系25型なのですが14系改造だからって形式は律儀に24を名乗っています。
で、今は(も)定期運用はなく、時たま走る「遅れた時の返しが間に合わなくて予備車でとりあえず逝っとけドサクサ仕立て北斗星」専用といったところです。
ドサクサ運用時
編成全体。一部区間普通により札幌からの車両を待たず上野を出た臨時組成便に組み入れられていた時のもので、昭和62年当時にちょっと近い組成。
北斗星車両で一番不憫な車です。
次行きましょう。
ものすごい特徴を持ったオロネ25-551
下にアゲてますが、2名用A寝台個室の増車でオハネ14-514から改造しました。
もちろん、Hゴムドア、クーラーはAU76
当たり前のように角手すりは角です。
オロネ24-551(あるいは国鉄時代の改造24系のルールに則って+100)としておいてくれれば、せめて美学維持できたのに。
と思う形式です。
ちなみに内装は
2F室。
要はソロやデュエットのちょっと広いバージョン。
天地の余裕なし。
1F室
こんな感じ。
カメラの角度に入らないくらい、割と狭い。
むりくり洗面台もあります。
(2Fは階段横だったかな。かなり実用に怪しい設置です)
1F室はこのように2回に食い込んで人が立てる部分があります。
こんな車が
こんな仕切り具合だったということです。
デラックスか・・・なぁ・・・?
と正直に思ったのは秘密だ。
次
最近、KATOで特定番号製品化されたスハネ25-503です。
オハネ14-515改造です。
ロビー室窓が大型化された唯一のモデルです。
もちろん、14系車体ですね。
驚くに値しなくなる「14系車体の24系25型」です。
クーラーもバッチリ14系タイプ。
北海道にいると鈍感になりますが、本州にこんな24系25型はありませんから。
はい。
ちなみにKATOさん
手すりがオハネ25-561のような大型角手すりになっています。
実物は14系のまま。
そう、KATOさんだってこの法則なき滅茶苦茶造形について行けというのは難しいですよ。
銘板も一枚だけ場所が異なってしまってますが、ここまで全て完全再現だったらむしろこっちが悩んでいたことが大したことではないということになります。
次
オハネ25-100番台です。
あ、東日本の車です。
いわゆる「ドア以外原型」
これの前提で進めます。
上記を改造したオロネ25-504です。2名用A寝台個室ですね。
北斗星発足当初のメンバーです。
これも、東日本です。
で。
北海道所属の同型オハネ25-501です。
今はミャンマーに行ったとか何とか。
改造時期は東日本車とまるっきり同じです・・・・。
あれ?と気がついた方。
角手すりご覧ください。
何故かこちら側だけ「14系仕様」になってます。
便所側のみ。洗面所側はどうも原型の場所のようです。
とりあえず
本当はそのの位置じゃないはずだろう?というものがもう一台手元にあります。
スハネ25-502
これも角手すりが14系位置に改造されていますね・・・。
501はどうなんだろう?
反対側はどうなっているんだろう?
夜も眠れません。
ぐぐってみると
今の501
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/826/17/N000/000/002/129820952191616322578_hktotarua07_suhane25_501.jpg
昔と思われる501
http://www.jnrsite.net/PC/24k/img/suhane25501.jpg
どうも、後天的北海道での改造のご様子。
オロネ25-502もこちら面だけ改造されていたようですので
北海道は角手すりが大好きなのでしょうか。
次
スシ24東日本バージョンです。
窓が一枚埋まるんですよね。
で
今はなき北海道バージョンです。
じゃん!
え?汚い?
そうじゃなくって・・
クーラーが14系座席車用防雪カバー付きだったんですね。
意外と知られていない事実。
但し、最末期は
まともな写真ではありませんが廃車前年の501が
14系座席車にも一部取り付けられている新冷媒のクーラーを積んでいた模様です。
全てかどうか確認できませんけれども。
↑それにしても北海道所属車の車体の凸凹加減ったらないですね。東日本車が美しすぎて。
たかがサイズが違うだけ。
そうタカを括っていた事はないのですが、思いの外、新しいノウハウを付ける必要がありそうです。
塗装します
まず屋根にダークグレイを吹きました。
屋根上機器を取り付けました。
こうやってベース色を吹いてからつけると少しでも薄くできるかなと考えたわけです。
ジュラルミンシルバーを足したダークグレイに吹いてみました。
どうだろう。
結局薄っすらもう少しライトなグレーを吹き重ねました。
もともと銀。
それがクッタクタになって疲れた感じですが、模型的にそれはウェザリングに入る領域。
Nだと抽象色で済ませるこの部分。
HOだとそれが不自然です。
なにか「理由が見える」ように考えたほうが良さ気なのです。
悩みます。
まず側面だけ青を吹きました。
エッジを大事にするために妻面は別塗装します。
ところが、青吹いても「ブツブツ」が結構出ることが解ります。
洗浄を繰り返しているのですが、Nでは誤魔化せた「面的塗装面」が全くごまかせません。
しかたがないので、6000番布やすりで磨きこんでみます。
だんだん整います。
最後にクリアを吹いて整えるようにすることになるのでしょうか。
それとももう一度青を吹くことになるのでしょうか。
妻を注意して吹いたつもりでも、酷い有様です。
ヤケになったらもっと酷くなりました。
無塗装では気が付かなかった「めくれ」や微細な凹凸が気になりだして止まりません。
塗り分けは割とうまく行っているのです。
全体を磨いていきます。
デッキ妻面も青未塗装ですが、磨きこんでいきます。
あ、かすれた! ><
足し塗りして、だいぶ磨けてきました。
今日はこんなところでしょうか。
まだ感覚と到達点がわかっていないんですよね。
写真で見るより、今の状態は「色整形されたプラモデル」的な質感です。
アリイの大昔の16番寝台客車のようです。
いや、本当にそんな感じのトイ臭さ。
要は「下手」なのです。
あとエアブラシを一度徹底的にクリーニングしたほうがいいかも知れません。
↑加減をつかむまでの難しいと思うところです。
下地をもう一度整えます。
面白いもので黒い板の上にグレー吹いたのに、削ったら水色が出てきた。
サフェーサーの1000番を「雨樋部分だけ集中的に厚吹き」
ごってごて。
まぁ、これは張り上げ屋根の時にいつもやる手段です。
なぜホコリが入るかなぁ。
ブラシ自体の大清掃したほうが良いなこりゃ。
カップに入っているとしか思えん
屋根との継ぎ目も引けが出ているので盛り吹き。
極端な話、これくらいゴッテゴテでもいいんです
その代わりここまで盛るなら「削りきった他きちんと埋まっているくらいしっかりと盛る」ということです。
後でライン出しはそれこそ気合入れますので。
それでポツッと凹みがあったら気分も凹みがすごくなります。
これでそうですね、2日くらいはカラッとさせましょう。
なんせサフェはうすめ液が結構入っていることと粒子が細かいので、物凄くヒケやすいMAXですから。
その代わり、磨けばいい具合になります。
(上塗り塗装は、塗料の溶剤でもヒケやすいので気を使いますけどね)
そうやってNでもやってきたから・・・。
↑というか暫くほったらかすってことです。
この窓埋めだけをします。
まずは四辺を拡大することから始めます。
素敵なディテールのテーパーですが、窓埋めの時には接着剤の過剰投入によるヒケの原因になるので取り去るということです。
角穴になります。
裏からプラ板を当て込みます。
更に大きめのプラ板で蓋をして接着剤でよく固定します。
大きさがあるから裏打ちができるというのは強みですね。
これでちょっとやそっとじゃペキっと外れなくなります。
面の状態です。
まずまずのハマり具合ですね。
低粘度の瞬間接着剤を真鍮線で落としていきます。
四方を盛ります。
400番のヤスリスティックソフトであらかた撫でます。
1200番程度まで仕上げて完了です。
まだ右上が不完全ですね。
このあと整えます。
どうかな?
この角度ではどうかな?
ではこの角度は?
まずはいいことにしましょう。
↑これで改造点は終了で、あとはデッキ手すりと幌吊りの取り付けで完成です。
つるりぬるりのスハネ16-514のつるりとした方のデッキ妻面に穴を開けます。
エコーのハッチを切り抜き
貼り付けて票差しも貼り付けます。
セロテープ固定&瞬間接着剤で。
モデルエイトの銘板を
ググっと吟味して
上から
日本国有鉄道-日本国有鉄道-日本国有鉄道
大宮工場-大井工場-鷹取工場
土崎工場か郡山工場-日本車輌-日立製作所
のようです。
今回のスハネ16-514は後藤工場か土崎工場(資料により異なる)でオハネ17になり五稜郭工場でスハネ改造の2節ありの様子。
写真を見る限り五稜郭の銘板はないようなので土崎か郡山に見えるものを試用します。
こんな感じ。
元モールドはかなりごつい。
しかもスハネ16なのに日本車輌です。
ですから結局
総取り替え、及び銘板位置が違うようなので資料に合わせて取り付け位置を変更します。
五稜郭の銘板はないのかな・・・?
まぁ、それより標識灯掛けのほうが高価で参ったという感じです。
幌の引っ掛け器具も撤去して削りやすくし、エコーの部品に交換します。
軟質樹脂なので塗装が乗らないというのが本音です。
製品版 スハネ16ですが、
幌引っ掛け器具が別部品ではありません。
変なところに型が異なっています。
ちなみにこれは先日の中古ですから日光台車版です。
オハネから改造のものはトミー台車版の再生産分。
細かいところですが改良されていますね。
銘板も空白になっています。
改良して「日本車輌」となったものようです。
現状です。
実はこのHO寝台車の各ディテールはかなりごついもので、ハッチなや手すりなどはかなりプアです。
仮に製品での冷房車の方を手がけるとしたら、これまた結構なお時間が掛かりそうです。
というか、やるべきか悩みます。
プラのこのシリーズは、フジキットより良い面とあまり良くない面が現れています。
そのままの完成品としては手軽でよいでしょう。
また内装なども強みです。
第二ロット分だと走りがとにかく軽く台車内部ディテールも優秀です。
だがしかし、初期ロットでは日光のため全く差はありません。
加工になると金属アレルギープラアレルギーはともかくとして、バイマテリアルならフジに優位な点があります。
・・・といってもクーラーやベンチレーターはトミックスの分売を使ったほうが遥かに良い物が多く「どちらが秀でている!」というものでもありません。
窓も嵌めこみが有効なのはHゴム窓に顕著ですが、一般窓は大して優位に見えないところがNと違うところです。
むしろ傷がつきにくい、平滑性は材料次第で変わりますが、フジのセル窓のほうが一長のものがあります。
(スロ54が嵌めこみ方針から一転、セルにシフトしたのはこの辺りです)
この完成品やメジャー製品群の「どっちともつかない」差がHOの面白さであり「KATOとTOMIXの完成品が到達基準。」になりつつあるNより「精神的に」気楽に取り組めると考えられる部分です。
ただ、どうも大きいがゆえにちょっと作業が雑になりかける部分は自分との戦いですね。
あ、谷川製作所は、触れたことがないのでよくわかりませんw
N出身でちょっと思うことは「フル編成主義が叩きこまれているので、HOの傾向(サードパーティー部品の点数から見ると機関車(特にSL)至上勢力が見える)機関車一点豪華主義とはなりにくい」かもしれません。
↑あと一本
2Lのペットボトルを切開して。
塗装を剥ぎます。
うすめ液で。
トミックスのかなり前の製品だから大丈夫だろう。
ん?
ハゲ方があんまり良くないぞ。
なんだこの斑点は・・・。
とあらかた剥いでいたら
・・・・・・・・・・。
崩壊し始めた件。
韓国樹脂はダメだったか・・・・。
あーあーあー・・・・・。
なんつー裂け方だ。
あきらめないで修復。
まぁ、そんなの・・・慣れているもの・・・。
上手くピッタリ接合して、他は心配だけどなんとかなりそうだから・・・
続行。
なんとか修復した上であとの破壊が進んでいないことw確認。
で、よく比較すると、機器箱の位置が細かく作り変えられています。
芸が細かいというか・・・
ただ部品を上下反対にしただけというか
銘板は北海道なんで4枚だからいずれ改造する場所でしたが・・・。
いや、実はここが異なっているという情報は何かしら聞いていたので撤去。
そしたら穴位置まで違っていて、やはり作り分けられていたこと。
でもこんなのかって置いていたんです。
エコーのほうがほっそりしている。
で、ググったら3種類くらいあるのね。この機器箱の様子。
屋根は一箇所、扇風機カバー穴を埋めます。
製品はこの様になります。
100両中、90両はこれなんですが、
非冷房時代、北海道型はこのおわん型の扇風機カバーが最初から無く、のっぺらぼうだったのです。
(ナハネ10に限る)
だから冷房改造後も、無いってこと。
それは501~510であり、511~514は本州で冷房改造されてから北海道転属改造されたのでこのドームが存在します。
今回は507とかに考えているので撤去ってことになります。
でも北海道臭さを醸しだす部分ですね。
こちらオハネ12の洗面所窓です。
507とか508にはこれが必要となります。
なんでかこの窓部分だけ、型磨きがとっても雑です。
どういうこっちゃ。
カット
オハネ12は哀れ窓なしです。
が、オハネ12も実は今度は小窓改造をしないと北海道仕様とはいえないので、むしろこっちが主役なんですね。
この大窓未更新洗面所窓では、晩年は宮原区にしか見かけないのです。
もちろん床下のでっかい汚物処理タンクも・・・北海道では「垂れ流し上等」だったので撤去なんですね。
前にも書きましたがHOトミックス寝台車は、何故か3形式とも「モデルとしての組み方、型の割り方、そして時代の仕様」がバラバラなのです。
とくに屋根廻り天井廻りの内部の型割とか、床下と内装部分、電気の導き方がすべて全く異なります。あとアルミサッシの太さも。
なんで何でしょう。
特にオハネ12は晩年の汚物タンク背負っているのに未更新状態の窓で、恐らく少数派のオハネ12の中でも少数派です。
この様に嵌めかえます。
また嫌な感じで窓の位置が異なり、リアル化模型ディフォルメ化設計のアレなのか判別不可能ですが、「窓両端はほぼ合っているけど、それぞれ内側寸法が違う」んですね。
ここは現物合わせです。
朱肉を付けます。
置きます。
これがケガキです(正気かw)
どーにかなります。
以前もこの方法でやりましたから。
1.6mmで穴を開けて
Fモデルス店頭で見つけたレザーソウの薄いもので縦をカット。
カッターで横カットしてから一部整え、更にカットして切り取ったプラ片を嵌めて
もっと言うと穴開け損ねた部分は埋めなおして
整えて整えて嵌めていきます。
このすべての工程はWAVEのヤスリスティックハードの600番をカットして使いやすくして削ります。
いいんじゃないの?
これで未更新状態に戻りました。
冷房化するのに未更新化するって本末転倒です。
・・・というかね、ナハネフ10非冷房時代ってこの大きな窓だったと思うのですが違いましたっけ?
マイクロエースも同じなんですが、自分の記憶では小窓化は冷房と「工事自体は違うけど」似たような時期だったかと思うのですが。
http://www.geocities.jp/yabuubu/nahane10okunosindai.jpg
余談
スハネ17-514は
スロハ31505→スロハ31-29→スハ50-29→オハネ17-514→スハネ16-514
って変遷なんですって。
すごいねぇ・・・。
本州タイプの中には更にスユニ50に改造されたもんもあるっぽいから、経歴だけは凄まじいものがあるみたいですね。
↑今日はおしまい
寝台車の車体改造に入ります。
奥がオハネフ12になるナハネフ10
手前がスハネ16になるオハネ17です。
まずはオハネ17の窓を
カットします。
丁度Bのあたりが冷房化に際して、分電盤設置のためこの窓が埋められた部分です。
オハネフはこの部分に変化はありません。
屋根と車体を接合します。
雨樋にカット線を入れて
ゴシゴシゴシ・・・・
削る削る
つるん!
妻面も一切合切削ります。
これ、スハネ16-514にします。
気持ちの悪いツルリヌルリした外観が強烈な個性を弾き飛ばしています。
どうも2両ほどいた模様です。
洗面窓も雑に外板交換されて筋浮きだって居るところは表現するかどうか悩みどころです。
はっきり言って気持ち悪い車ですが、まぁ、ありでしょう。
↑プラスティックボディとしては改造が面倒な車です。真鍮キットなら楽ですが。