小さなときは遠回りして家に帰ってものです。それがいつの間にか時間に追い立てら効率中心に生きるようになり、それが最善の生き方になったけれど、今は十分過ぎるくらい余裕の時間を持っているのに今までと同じように時間を気にしながら生きている。「そうだ!京都に行こう」のキャッチフレーズのように時間に束縛されずに生きようと思わなければいけないのではないか。遠回りして好奇心でいろんなものを深く深く見て回り、それに飽きたら自分で遊びを作って、その遊びの中に入って楽しむ。そういう過程が年齢と伴に取り上げられて結果だけが催促されて、それが当たり前になっている。遠回りの面倒なことは敬遠して逃げているけれど、面倒なことに本当の楽しみがあることを忘れてしまっている。だから、小さなときはいろんな経験をして回っているから時間が長く感じられ、心も豊かであったのだろう。もう一度、それを取り戻そうと思うけれど出来ないでいる自分が嘆かわしい。心の中に小さな頃の自分が現われて何事も億劫になった自分に軽蔑の眼差しで「もう、自由を束縛する家(両親)、会社(給与)もないのだから冒険しなさいよ!」と呼びかけてくる。
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◆豚ロースのマスタード焼きと青茄子のバルサミコステーキ ◆野菜のチーズ蒸し ◆ツルムラサキの塩昆布和え ◆南瓜ポタージュ ◆ご飯
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