オリンピック選手は国民や所属会社、所属競技団体、家族やコーチなどサポート関係者,etcの期待される中で競技に向かっていく、そして本番の試合。そこに自分があるのだろうかと思うと言う。自分と違う期待像の中で競技と自分とに闘うからある意味哲学者になっていくらしい。そのレベルは違うかも知れないが一般の人でも皆、悩み苦しむと言ってしまえばそれで終わりかも知れないが、期待の重さが全く違う。吹っ切れてしまえばそれはそれで緊張感、集中力が維持できない。それらを持ちすぎても押しつぶされて本来の自分の能力を発揮できない。この兼ね合いが難しいのではないか。闘う人は大変だ。だから、その競技を見る人は応援したくなる。勝ち負けではなく闘う力を十分発揮出来たらいいな。
◆焼肉 ◆白菜とカニの博多蒸し ◆韓国風サラダ ◆薩摩芋のレモン煮 ◆わかめスープ ◆ご飯
~ 焼肉 は焼肉たれにつけて、韓国風サラダ は韓国海苔がピリッとして、レモン煮 は甘さと酸っぱさで、美味しい。 ~
追記: 哲学者として答えを持ってしまうと自分を表現できても闘えなくなってしまうと私は思う。闘い敗れた選手でも見てる人に勇気を与えることだってありえます。そういう意味では悩み、苦しみ、もがきながら生き続けていいんだなと思った。