清少納言 桜井
白河天皇皇子桜井僧正(行慶)
後鳥羽天皇皇子 覚仁法親王
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き北1169 少年野球の像
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清少納言 桜井
白河天皇皇子桜井僧正(行慶)
後鳥羽天皇皇子 覚仁法親王
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自然石を畳んだ底の低い井戸で、今なお清澄な水がこんこんと湧き出ている。
この水は昔 街道を往来した旅人の飲料水として用いられた。
往時の宿場町 としての沓掛村をしのばせる現存する遺跡です。
底が見えています
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き東1126 東山開睛館
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滋野井の井桁
この地は、平安初期の公卿滋野貞主(しげのさたぬし)(785~852)の邸宅跡である。(現在の下立売通南、西洞院通西、椹木町通北、油小路通東の地)。敷地内の清泉は都七名水の1つとして知られ「滋野井」と呼ばれた。貞主は、漢詩人として知られ漢詩集『経国集』や『秘府略』(一種の百科事典)を編纂撰進した人物で、温雅で度量広く、仁明天皇の信任も厚かった。
その後この邸宅は「蹴聖」と称された蹴鞠の達人大納言藤原成通(なりみち)(1097~ 没年不詳)のものとなる。「成通卿口伝日記」によると、成通が蹴鞠上達を願って千日間の練習を誓うと、その満願日に鞠の精が三匹の人面猿身の姿となって現れ、蹴鞠の法を伝授したと記される。後に、後鳥羽上皇はこの鞠の精を「精大明神」として祀り、滋野井のほとりに祠をつくったと言われる。現在も精大明神は蹴鞠の宗家でもある飛鳥井家跡に建った白峯神宮に、地主社として祀られている。この井桁は滋野井として伝承された井戸の井戸枠で、江戸時代に作られたものと思われる。この地の元滋野中学校の校歌に「滋野井の泉のほとり集いよる」と謳われるなど、地域の貴重な遺産として受け継がれてきた。滋野井の井桁は、地域住民の尽力によってここに保存された。
名水前回の記事 ⇒ まとめ010 京の水
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近辺の記事 堀川一条界隈
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現役の名水
1 銅駝会館
2 下御霊神社
3 染井 (梨木神社) 12月7日
4 右書き看板43 六源勢伊 やなばちた 創業 宝永5年 創業以来 307年
煮沸してから使ってください
1 新滋野井
2 若一神社
名水 水は出ています
1 柳の水
3 御手洗井 12月12日
昔の名水 井戸はあるが使っていない
1 いさら井
2 梅雨の井
3 千代野井 西陣五水の1つ
4 銀水
史蹟としての名水
2 牛若丸 首途の水
4 菊水の井
7 親鸞聖人 御聖水 湧出しています
誇りの銘水
パワースポットとして
1 晴明の井
信仰の水
1 解穢れの水 月読神社
未分類
2 桜井 ・西陣五水
3 安居井・西陣五水・個人宅
4 鹿子井・西陣五水・個人宅
5 染殿井・京都御所・清和天皇の母の住居内にあった