安産 守護
聖観世音尊像 専念寺 是北一丁
北 島田三丁 淀廿三丁
西 下津屋渡舟場 三丁 八幡町 二十丁
東 宇治街道 佐古佐山 十三丁 林 二十丁
奈良街道 新田 一里 宇治 二里
三宅安兵衛
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安産 守護
聖観世音尊像 専念寺 是北一丁
北 島田三丁 淀廿三丁
西 下津屋渡舟場 三丁 八幡町 二十丁
東 宇治街道 佐古佐山 十三丁 林 二十丁
奈良街道 新田 一里 宇治 二里
三宅安兵衛
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荒見神社
田井村の産土神で、もとは五社神と称した。巨椋の池に近く、しばしば水害をこうむるところから水神をまったのが起こり。中世以降は現在の祭神を祀っている。本殿は寛永7年(1630)木津川洪水後の再建である。他に拝殿・社務所・末社天満宮・厳島社がある。例祭は10月9日
明治33年 建立
鳥居
明治8年10月
神社 前回の記事 ⇒ 神社久御山0161 珠城神社
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先々々代の住職 釜屋了貫と夢二とが親交があった。 たびたび この寺に来ている。
9点ほどの作品を残している。
円福寺は、824年に弘法大師によって創建されたと伝えられる真言宗の寺院でしたが、1624年の大洪水で流失した後、1625年に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院として再建されました。現在の寺は、平成7年に新築された入母屋造り、書院を併設した50坪余りの本堂に金色に輝く阿弥陀如来立像を本尊とする寺院です。この円福寺は、竹久夢二が庫裏を画室として絵筆を振るったことで知られています。
夢二は、第21世住職の釜屋了貫と神奈川県厨子で知り合い、了貫の修行時代を含め家族的交友をしていたため了貫を頼って大正5年から昭和3年にかけて度々逗留していました。
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御大典記念
いつのものかな
完成記念 昭和42年
珠城神社
垂仁天皇崩御の後、その霊を山代大筒城真若王(やましろおおづつきのまわかのみこ)がこの地に祀ったのを起こりとし、垂仁天皇の皇后を「珠城宮」と称したのに因んで、社名にした。桓武天皇は延暦18年(799)和気清麻呂の死にあたり、護法善神として当社に合祀された。その後、治承4年(1180)の宇治川合戦、天正元年(1573)の槙島合戦には、兵火をあびて社殿を焼失し、御神体は佐山の双栗神社にうつすに至ったが、昭和42年(1967)社殿の再建にあたって戻した。現在の社殿は春日造り、銅板葺の本殿と、切妻造りの拝殿からなり、境内は公園となっている。例祭は10月9日。
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神社 前回の記事 ⇒ 神社久御山0160 磐田神社
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左が 拝殿
拝殿 向こうが 本殿
常磐神社
常磐神社は、江戸時代牛頭天王社と称し、東西23間、南北80間の広大な境内地の中に、八幡山橋本坊末寺の長福寺、地蔵院、蔵王権現社が建立され、神仏混合の神事が行われていた。
やがて明治維新を迎え、神仏分離令により仏教色の一掃が義務付けられた。そのため牛頭天王は仏号であるという理由で野村神社と改め、境内の長福寺を廃し、地蔵院は拝所を西向きに変えて神社と分離した。
さらに広大な境内地の大半は上地を命じられ、433坪が現在の境内となり、明治14年3月、社名は常磐神社と改称して今日に至っている。常磐神社の祭礼は10月16日の秋祭りに代表され、頭芋を台にした竹串に柿・栗・柚を刺した新撰が供えられる。また3月6日の蔵王社の春祭りは、鉢巻飯を本社・末社・地蔵堂にも供えるとすう古習が継承されている。
近年、本殿・末社・舞殿・蔵王社・社務所の老朽化に伴って、平成5年10月から新・改築工事が行われた。平成6年9月18日に遷宮祭が執行された。
平成7年3月 久御山町郷土史会
本殿
前回の神社 記事 ⇒ 神社久御山0159 玉田神社
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