水主神社 樺井月神社
府社が消されています
宮馬場鎮座
明治36年11月
大正13年2月
下馬
樺井月神社 由緒
水主神社の末社の1つとして本殿のそばにある。
もと木津川の樺井の渡の守護神として創祀された神社、祭神は月読命または天月神命ともいわれる。
延喜の制には大社に列せられ、4度の官幣・祈雨祭の幣にあずかった。
また承和12年(845)綴喜・相楽両郡に蟲虫が発生し、牛馬が害せられて病死するものが多かったので、
神に占ったところ、樺井月神のたたりであることがわかった。
よって朝廷は当社に勅使を派遣して平癒を祈らしめられたところ、悪疫はたちまちやんだという。
これにちなんで当社は牛馬の守護神としてあかめられ、毎年2月20日の例祭には牛馬攘疫祭が行われる。
当社はもと綴喜郡樺井の地にあったが、木津川の氾濫によって社地をうしない、
寛文12年(1672)12月、水主神社の境内にうつしたとつたえられる。
樺井とは対岸の大住村(現田辺町大住)といい、今なお樺井を姓とする人々が居住し、当社の管理に当たっている。
一説に、もと棚倉村綺田(現山城町綺田)付近にあったのが、
ある年の木津川洪水によってこの地に流れ着いたものだろうともいわれている。
水主神社
木津川畔の宮馬場に鎮座する水主村の産土神で、10柱を祀っている。
祭神が多いのが特長。水主直一族がその祖神とあがめ奉った神々で、当社は水主氏の氏神社である。
水主神社も洪水によって流され、この地に漂着したのであるともいわれ、当社の旧鎮座地についてはあきらかでない。
水主氏とは、栗隅の大溝の入口に設けられた水門(井堰)の管理をつかさどったものであるから、
当社の旧鎮座地は現在のところよりは長池に近い所にあったものと思われる。
本殿は寛文10年(1672)の再建、例祭は10月3日・当社の祭神第二柱の天香語山神は衣縫大神といい、
古来、衣服を縫う方法を教える神とされ、いまなお紡績関係者の信仰を得ている。
狛犬 台座裏の墨書銘によると、嘉禎4年(1238)に水主郷の鎮守大明神に奉納されたものと分かっています。
御神木 城陽市の名木
針の碑 昭和53年
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