華頂山と号し、「花山寺」とも呼ばれる。当寺は貞観11年(869)遍昭僧正が陽成天皇の降誕に際して発願し、天皇の母藤原高子よよって建立されたと伝わる。旧地は西北の花山山にあったとのことである。元慶元年(877)定額寺となり、年号をとって寺名とした。寛弘2年(1005)、花山天皇が女御忯子の死を傷み、当寺にて出家落飾し、花山法皇と号された。現在の建物は安永年間(1772~81)の建立とつたえ、本堂には本尊薬師如来像のほかに遍昭自作とつたえる木像や花山法皇の宸影等を安置する。竜宮づくりの山門は天台寺院としては珍しく、また楼上に安置する梵天・帝釈天立像がある。寛政9年(1797)在銘の梵鐘がある鐘楼がある。
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この石碑は、明治元年9月明治天皇御東幸の際、同2年3月の御還幸及び、同11年10月の御還幸の3回に亘って、古く戦国時代より東海道の茶店、宿場又本陣として洛東山科の名刹 毘沙門堂御領地内にあった「奴茶屋」に御駐輦されたことを記念して建立されたものである。
明治天皇(1852~1912)は,明治元(1868)年9月の東幸,同2年3月の還幸,同11年10月の還幸の途中,毘沙門堂領地内で東海道沿いのこの地にあった茶店奴茶屋に駐輦した。奴茶屋は,片岡丑兵衛という勇猛な弓の達人が,街道に出没した盗賊を討ち取り,文安4(1447)年,茶店を建てて旅人を送迎したことにはじまると伝える。以後,茶店,宿場,本陣として利用された。この石標は,明治天皇が立ち寄った奴茶屋を示すものである。なお,奴茶屋は,平成(1994)年に山科駅前再開発に伴い建物を取り壊し移転した。
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本堂に安置する本尊阿弥陀如来坐像は像高2.67メートル、寄木つくり、漆箔、定印をむすんだ丈六の巨像です。
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