記念碑
木津川堤防補修
本殿遷座
昭和37年
石碑 前回の記事 ⇒ 神社城陽0244 天満宮社 石碑城陽0233 記念碑
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祠 前回の記事 ⇒ 祠左061 北白川 薬師瑠璃光如来
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記念碑
木津川堤防補修
本殿遷座
昭和37年
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祠 前回の記事 ⇒ 祠左061 北白川 薬師瑠璃光如来
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その昔、このあたりに狐の住む穴があり、柴草を刈りに来る人にいたずらをするので、小祠を建て崇めたそうです。
文政12年(1829)に至って、杉本坊と泉坊が八幡宮に願い出て、現在の場所にあった荒垣を取り除き、鳥居、玉垣を作り、建立したと伝えられています。
また、稲荷社に祈った人が、その霊験によって富くじに当たったことが伝わると信者を増やし、その人たちの寄進で完成したといわれています。
さらに、稲荷社の祭神の名を知る人がなく、また古記にも伝えられていないため、京都七条の高瀬川傍で神降しや吉凶占いなどの神告を業とし、稲荷を信仰する石井巳之助という人により、「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」とのお告げがあり、神の名を知ることになったそうです。
こうして下京にはこの大扉稲荷社を信仰する人が多く、参拝者が多かったと「男山考古録」は伝えています。
祠 前回の記事 ⇒ 祠八幡059 石清水社
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天御中主命(あめのみなかのしみこと)を祀る摂社、石清水社発生のもととなった清泉が今なお岩間から湧き出ている。
社前に松花堂昭乗の筆で、寛永12年(1635)京都所司代板倉重宗が寄進した旨をしるした石鳥居がある。
祠 前回の記事 ⇒ 祠右058 ルルゲさん ・・ って 三宅石碑
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村中安全 ☞ あたご
愛宕山常夜灯
天保8年 1837年
祠 前回の記事 ⇒ 祠向日056 「はりこ池」 の 弁財天
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長谷川五郎左衛門
安政4年11月 (1857年)
祠 前回の記事 ⇒ 東055祠東055 相鎚稲荷大明神
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閼伽井(観音水)
別名「智弁水」と云い、智弁僧正(918~991)が霊水を求めて密教の秘法を修められたとされる伝説と、大雲寺文慶上人(965~1046)の夢に跋難陀龍王が現れて「此の地に名水有り、汝に与うべし」とお告げがあり、早速、左の袂をもって大地を撫するとたちまち霊水が湧出したという故事が残っている。
干ばつにも降雨にも増減しない「不増不減の水」と称され古来より霊水として崇められ、心の病・眼の病にことのほか霊験があると平安時代から今日までかわらぬ信仰をあつめている。
大雲寺住職
道標 東 赤山
北 金毘羅
祠 前回の記事 ⇒ 祠北052 石仏と不動明王
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万延 元年 1860年 徳川将軍 14代家茂3年目
祠 前回の記事 ⇒ 祠八幡047 豊影稲荷大明神
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