戊辰史蹟 念仏寺 右 八幡橋 一丁
左 正福寺
昭和2年10月 三宅安兵衛依遺志建之
読みづらいです
念仏寺
天慶年間(938年〜947年)、「阿弥陀聖」「念佛聖」とも呼ばれる空也上人が開祖で、「空也念佛堂」とも呼ばれていたそうですが、慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いの時、
鎌倉時代末期に西園寺家八代目公衡の末男が出家して当山を再建、戊辰戦争時に念仏寺は幕府方の桑名・大垣藩の陣地になり、官軍の砲火によって本堂庫裏とも焼失したそうです。官軍の砲撃で大垣藩士9名が戦死。本堂横の墓地に24歳で亡くなった名波常蔵の墓が残っている。
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