アートプラス京めぐり

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石仏城陽046  石仏 たくさん集められています

2021年01月11日 13時23分20秒 | 石仏

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏長岡京045 江戸時代末期の信仰の様子 六地蔵と十王像

   次回の記事 ⇒ 石仏左047 最胤法親王 墓の近くにある 石塔・石仏

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石仏井手040 竹林の中の 石仏

2020年01月03日 06時07分52秒 | 石仏

 

竹の葉 道

 

 

 

竹に囲まれています

 

 

弥勒石仏

花こう岩に線刻されたこの三体仏は言い伝えによれば、奈良時代橘諸兄の館建立に際し鬼門除けとして刻まれたものという。しかし、実際は鎌倉~室町時代にかけて戦乱に明け暮れる武士の支配体制に苦しみ、その日暮らしがやっとであった農民たちが心のよりどころとして刻んだものである。

 

 

 

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏左039 三千院内で 鎌倉時代

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まち歩き井手1137 巨岩に彫りもの 左馬 鎌倉時代のもの

2020年01月01日 17時55分18秒 | 石仏

 

 

 

 

左り馬

駒岩(こまいわ)の彫刻左馬は、重さ数百トンの大きな岩があり、表面に約1メートル四方の馬が刻まれています。玉津岡神社の社記によると、この駒岩はもと玉川左岸の株山にあって「玉川水源龍王祠側大岩彫刻駒形の絵」と平安末期の年号とともに記されています。
本来は、雨を願い玉川の水を治めるために、絵馬としての駒岩であったものが、いつのころからか左馬として「女芸上達の神」に変わり、裁縫や生け花、茶道、舞踊などを志す人々の守り神として古くから信仰の対象となっています。

数百トンもの花こう岩に刻まれた半肉彫りの左馬は「女芸上達の神」つまり女性の習い事の1つである裁縫や茶法、生け花、ひいては舞踊などを志す人の守り神として、古くから信仰の対象になっていた。作者や制作年代はふめいであるが、躍動的な象徴をもつことから鎌倉時代のものだろうと思われている。元は、玉川左岸の山腹に鎮座していたものであり、遠く京都や大阪から参拝する人も多かったと聞く。

 

 

 まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き井手1136 井手の町の眺め 西方面を見る 向うに木津川

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石仏左037  鎌倉時代の石仏

2019年11月13日 06時28分27秒 | 石仏

 

 

どれが 鎌倉時代の石仏なのか 

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏左036 岩倉 台座と屋根があります

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石仏左035 岩倉三尊石仏 大きい 鎌倉時代

2019年10月08日 06時28分57秒 | 石仏

 

大きい 迫力あります

 

高さ1.9m 厚さ53cmの巨大な花崗岩の表面に定印の姿のおだやかな阿弥陀座像を厚肉彫にあらわし、右側面に11面観音立像、左側面に地蔵立像を浮き彫りになっている。岩倉に現存する石仏中でもっともすぐれている。11面観音は大雲寺の古くからの本尊である。鎌倉時代。


こちらは 右側面

 

 

ほとんど 読めない

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏右034 石仏 台座があります ちょっと珍しい

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運動記録 10月1日 開始 1回目 階段昇降14段3mを100往復

      10月3日      2回目   階段昇降14段3mを100往復 月合計200往復

               10月4日      3回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計300往復

                     6日     4回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計400往復

                    7日     5回目 階段昇降14段3mを100往復 月合計500往復

 


石仏久御山032  2面仏 地中より出土

2019年03月12日 21時04分26秒 | 石仏

 

 

 

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏右031  遍照寺の石仏 と 石柱2本

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