知恩寺
浄土宗鎮西派4箇山本山の1つ。俗に「百万遍」の名で知られる。
当時は慈覚大師の開創といわれ、丈六釈迦如来を安置していたことから
「今出川の釈迦堂」とも「賀茂の河原屋」とも呼ばれた。
法然上人は賀茂社を崇敬のあまり、当寺を念仏の道場とし、寺名を功徳院知恩寺と改めた。
知恩院とともに浄土宗にとってはもっとも由緒の古い寺院の1つである。
百万遍といわれるのは、元弘元年(1331)天下に疫病が流行したとき、
当寺の8世善阿空円が勅命をうけ、7日間禁中に於いて修法を行い、
唱名百万遍に及んだところ、疫病がたちまち止んだので、
後醍醐天皇から「百万遍」の号を賜ったという。
永徳2年(1382)足利義満が相国寺の建立にあたって、
一条油小路の北(上京区元百万遍町)に移った。
応仁・永正の兵火に罹災し、寺地を転々としたが、寛文2年(1662)現在の地に再興された。
法然上人43歳の像を安置した御影堂。など多くの堂宇がある。
猫間塚
平安時代後期に顕栄した勧修寺の祖、猫間中納言清隆の墓。
什宝として 平清盛愛用の「松蔭硯」、 顔輝筆「蝦蟇鉄拐図」、
「善導大師像」は現存大師像中で最も古いもの。
墓所には 法然廟、後西天皇皇女の墓、
伏見城を死守した桃山時代の武将鳥居元忠、
秀吉の軍師の竹中半兵衛重治、
皇宮造営の朝山日乗、
画家の土佐光起、
出雲路敬和の墓がある。
表門
百万編念佛根本道場
御影堂
鎮守社
阿弥陀堂
手水舎
鐘楼
鴨明神社
百萬弁財天
方丈
御影堂
平成27年8月12日 撮影
阿弥陀経石
本堂前にある。平重盛が平家一族の後生安堵のため、
宗国へ砂金を送った返礼として宗国より九州宗像大社へ送られてきたものを、
正徳4年(1714)に模刻したものと伝わる。
洛東小松谷の正林寺の経石とともに、
京都市内の現存する阿弥陀経石2個のうちの1つである。
本堂(釈迦堂)
扁額
塔頭 龍見院
塔頭 瑞林院
塔頭 如意寺
了蓮寺
塔頭ではない。阿弥陀如来板碑がある。京都市に現存する3枚碑の1つとされる。
塔頭 養源院
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