藤本鉄石(1816~63)は,岡山藩出身の尊王攘夷派志士。脱藩して上洛し,軍学者として私塾を開いた。文久3(1863)年天誅組の挙兵にあたり推されて総裁となったが,諸藩の討伐軍の攻撃を受けて大和国吉野で戦死した。この石標は藤本鉄石の寓居跡。
京都市教育会 昭和3年5月
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1199 京の通り 御幸町通 NO20 姉小路通
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金箔の鍾馗さん
京都で創業300年
明治元年9月
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1197 京の通り 御幸町通NO18 御池通 おか善・呉服屋
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創業は江戸時代の寛政年間 京都の高倉通りと万寿寺通りの角が発祥の地
屋号として〝やま角〟が今も残っています
京都の五花街 ( 祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒 ) の舞妓さんや芸妓さんの衣裳を製作、販売している
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1196 京の通り 御幸町通 NO17 押小路通 銭湯・散髪屋・米屋
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散髪屋はなぜか 角地にあることが多い。そう思ってみていると90パーセントくらい当たっている感じがする。
この散髪屋さん、銭湯も一緒に経営しているのでしょうか
※は米屋さんのマークでしょうか
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1195 京の通り 御幸町通 NO16 民家 ばったり復活
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家の前の箱も 昔風のごみ箱みたい ばったり が設置されています
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1194 京の通り 御幸町通 NO15 民家風の旅館
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明治31年(1898)から布教を始めた(メソジスト系)。建物は大正2年(1913)ヴォーリズの設計で市指定文化財。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1192 京の通り 御幸町通 NO13 平屋の民家
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左の家 瓦が新しい
右の家 左の方に ショーウィンドウがある。店だったのか
入り口もガラス戸だ
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1191 京の通り 御幸町通 NO12 二條通 交差点 仁丹町名ホーロー看板があった
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二条通交差点
右の看板 仁丹がなく ナショナル の文字が見える
しかも、中京区だ オリジナルは上京区・下京区が元祖のようだが
左書きだ。ホーローにしてはちょっと錆が多い感じ、光沢が弱い
仁丹町名ホーロー看板 ⇒ 仁丹 町名ホーロー看板 上京区版 、その他
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1190 京の通り 御幸町通 NO11 民家・昭和か大正か
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