京都市街地の眺望
すばらしい眺めです
飽きるまで眺めていたかった
高い山は比叡山
手前は洛西ニータウン
遠くに 京都タワー
手前は洛西ニータウン
南東方向
比叡山
京都タワー
南東方向
石柱には 枡形町 と記されています
皇紀二千六百年記
以下は地中に埋まっているようです
昭和15年1月
紀元2600年の記事 検索 ➡ まとめ006 紀元2600年石碑・献木・奉納額
前回の紀元2600年記事 ➡ 紀元038 国旗掲揚に使った 紀元2601年石柱
川柳
当然のごとく英語で道聞くな /福田
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店商 澤 田和
右書き看板伏115
右書き看板 前回の記事 ➡ まち歩き伏0280 店の感じがしない店 右書き看板伏114
蔵のある風景 前回の記事 ➡ 蔵のある風景伏0301回 藤森神社 付近
川柳
空いたわヨ声で席取る技もある /上田
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御神燈 か
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0280 店の感じがしない店 右書き看板伏114
川柳
つまらない消したテレビに顔うつる /おかなまず
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伏見区内は このような 地蔵尊が多そうだ
地蔵尊 前回の記事 ➡ 地蔵尊伏022 墨染地蔵尊 紀元2600年の石柱
川柳
病院も書いてほしいな料金表 /南
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鳥羽茶舗 とある
右書き看板だ 右書き看板伏114
右書き看板 前回の記事 ➡ 右書き看板山113 屋亀
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0279 古民家風
川柳
高でなく好収入とある求人 /渡辺
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東海道
2 祠滋賀020 逢坂弘法大師堂 東海道の街道 常夜燈がある
3 まち歩き滋賀0260 大谷町 駐車場にも車石がありました
4 まち歩き滋賀0257 民家の庭に車石が3個展示してありました
5 まち歩き山0256 民家の玄関に 車石が置いてありました
8 石碑山0070 京津国道改良工事 紀念碑 ・大迫力 全部 車石で出来ている
9 石碑山0069 供養塔・題目塔 周囲に車石が多数使われています
13 寺院山0197 摂取院
16 まち歩き山0160 さすが 車道の東海道 玄関先に車石残る
20 京都国立博物館 野外展示 石造物の12点 十三重石塔を追加
26 まち歩き山0837 民家の家の一部に車石が使われていました
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竹田街道
18 輪形地蔵・交通安全の御利益 夢を見たので、車石を堀りおこすと地蔵さんが出てきた
22 道標伏0079 八科峠 歌碑 車石 京都一周トレイユF13 蔵
鳥羽街道
不明
養阿上人
28 松明殿稲荷神社 養阿上人の井戸あり、この辺り朝市・夜店で賑わったのだろう
洛陽十二支薬師霊場めぐり 第十二番
蛸薬師堂
正しくは浄瑠璃山永福寺といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像を安置している。昔、この寺が二条室町にあった頃、付近に池があったことから、水上薬師又は澤薬師とよばれ、これが訛って蛸薬師となったといわれている。また、一説には、この寺にいた善光という親孝行な僧侶が、戒律に背いて病気の母の為に蛸を買って帰るところを町の人に見とがめられ、箱を開けるよう求められたとき、薬師如来に「この難をお助け下さい」と念じたところ、蛸の足が八巻の妙法蓮華経の変わり、難局を逃れたという。その後、母の病気も薬を飲まずに全治し、これは、親孝行の僧侶を守った本尊の霊験であるとして、本尊の薬師如来を蛸薬師というようになったと伝えられている。病気平癒の祈願のために参拝する人々でにぎわった参道は蛸薬師通と呼ばれるようになった。 京都市
鯉地蔵
木造地蔵菩薩立像がある。右手に錫杖、左手に宝珠をもった通常の姿であるが、その顔容はよい。寺伝によるとあるとき当寺の僧侶が所用の途中あやまって池の中に経巻を落として困っていると、水中から鯉があらわれ、経巻を口にくわえて浮き上がった。喜んで帰宅して本像を拝すると、全身水に濡れているのをみて、地蔵が鯉になって救ってくれたことを知った。それより鯉地蔵とよんだという。
関連記事 ➡ お寺・神社めぐり01 洛陽12薬師めぐり 京の通称寺 39ヶ寺
鯉関連記事 ➡ なで鯉 松尾大社 松尾大社 由緒ある 神社
鯉塚 神泉苑 神泉苑
川柳
遺影用 笑い過ぎだと 却下され /神谷
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当山は真言宗醍醐派の寺院で光圓山 明壽院庚申堂と号し、庚申信仰の寺として地元では伏見庚申堂とも呼ばれている。
60日に一度巡ってくる庚申の日の夜には、人々は寝ずに一夜を明かす「庚申待ち」を行った。言い伝えによると、人の腹のなかには三尸という虫がいて、庚申の日の夜に人々が寝静まってから体から抜け出る。そしてその人がしてきた悪事を天帝に告げに行き、それによって寿命が決まるといわれていた。そこで人々は三尸の虫が抜け出さないように寝ずに過ごした。庚申待ちにより、三尸の虫を封じ息災延命や心身共に清浄になることを祈願したのである。本尊の庚申尊は青面金剛を中尊とする夜叉達で、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を眷属(神仏の違い)とすることで有名で、普段は厨子に納められ、御開帳は60年に一度の庚申の年である。
寺伝によれば、創建は寛永15年(1638)で、東山天皇の時代の元禄11年(1698)には玉躰安穏祈願の勅許を受け栄えた。創建当初は隣接する住吉児童公園を含む一帯がその境内で大きな堂宇が並んでいたが、明治中期に本堂も含め取り壊されて縮小し、現在の本堂は当時の護摩堂が移築され、庚申尊を中心に諸仏・諸尊が祀られ、諸病平癒・女人守護の寺院として信仰を集めている。 京都市
この鐘は、毎日五時の時報、行事の時に撞きます。無断で撞かないで下さい
関連記事 ➡ お寺・神社めぐり20 京の三庚申
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0228 悟真寺 浄土宗 伏見鳥羽戦没 東軍戦死者埋骨所 石仏・四尊石仏
川柳
退職をメールで願い出る新人 /アタッ苦
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天正3年(1575)月公上人開創の浄土宗の寺。本堂には本尊阿弥陀像(江戸)以外に旧宝樹院の遺仏と伝わる来迎の阿弥陀如来立像(平安)、地蔵菩薩坐像(室町)、観音立像(室町)を安置する。
明治元戌辰年 伏見鳥羽戦没
東軍戦死者埋骨所
大正4年2月 建立
鳥羽伏見の戦いに戦死した幕軍の将兵64名のための顕彰碑や埋骨所がある。
本堂前の「方形石」(室町)は上部に二体の仏像、その下に二人の人間像をきざんだ珍しい石造遺品で、父母の菩提供養のために造立したものと思われる。
本堂前 左の方 水の「水鉢」の前にあり
表面に四尊石仏が浮彫りされている。高さ48㎝、幅40cm、厚さ20cm。浄土教の浄土往生を願う施主の親孝行の心情が汲みとられる。
石仏 前回の記事 ➡ 石仏山009 泉水町の三尊石仏
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0227 宝国寺 浄土宗 天明義民 糀屋伝兵衛墓所
川柳
もし生まれ変わ・・らんだろう /一匹犬
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大正13年12月竣工 新放水路
西方面
東方面
大正13年12月 竣工 えのきばし
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0277 道のまんなかに お地蔵さんの祠がありました ここは棒鼻
川柳
ブオトコももうけていればオトコマエ /お嬢ババ
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まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0276 江戸時代 屋敷がこのあたりに あったのだろう
川柳
独りだと寂しく2人だと疲れ /かたおもい
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