蛙塚(かわづつか)
玉川の清らかな流れと黄金色の山吹の花の彩りなど、紙上豊かな井手の里は、万葉の昔より平安・鎌倉・江戸と、時代を紡いで数々の和歌に詠まれてきました。なかでも美しい歌声を聞かせる蛙 かわづ は井手の枕詞として用いられるほど、数多く詠まれています。
このあたりは玉の井と呼ばれるように、湧水がこんこんと湧き出ておりました。その昔、大和路を行き交う人々は、湧き出る清水で喉の乾きを潤すとともに、水辺に遊ぶ蛙の声で旅の疲れを癒したことと思われます。
井堤蛙舊蹟
音にきく井堤能山吹みつれとも 蛙の聲者かわらさりけ里 貫之
昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建立
玉の井 玉井寺跡
昭和3年10月禀京都三宅安兵衛遺志建立
史跡前回の記事 ⇒ 史跡宇治055 龍目井 (たつもくい) 隠元禅師
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井堤荼靡故址
後醍醐天皇舊蹟 是東一里半
田村新田
駒登免て猶水かわん山吹の
花能露そふ井手の玉川 俊成
昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建立
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西福寺 遍照山 真言宗 智山派
井手町に所在する木造の仏像としては最古。像高103cm。一本造。きびしい目鼻立ちと簡略化されている衣文などから、年代は平安時代と推定される。西福寺は言い伝えによると天平時代の創建。同寺は城南西国33霊場第28番札所にあたる。
井手町指定文化財 「聖観音菩薩立像」
月照の母の墓碑
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院長0700 寂照院 地蔵尊
関連記事 ⇒ 寺院東0357 清閑寺 1
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井手 史蹟 名勝 六の玉川 東南二丁 玉井 玉井寺跡東 三丁
橘諸兄公故址 五丁 玉津岡峰 十五丁
井堤蛙奮蹟 二丁 地蔵塔 十五丁
玉ノ井頓宮跡 四丁 山吹山 三十丁
南 棚倉村 二十九丁
西 玉水橋 五丁
三山木村 三十五丁
北 多賀村 二十三丁
西北 青谷村 一里十二丁
草内村 三十三丁
昭和3年秋禀京都三宅安兵衛遺志建立
関連記事 ⇒ 関連0002 三宅安兵衛の道標
道標 前回の記事 ⇒ 道標長0276 参陵道 石碑長0215 御陵道改修奉仕記念碑
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水難記念
昭和28年8月15日
南山城水害。それはこの町にとっては忘れ難い悲運な記録である。
前夜来の雨は時間雨量150ミリを超える稀有の集中豪雨となった。そして暗夜の中に猛り狂った水魔は町も人も一瞬のうちに蹂躙一夜明けた町は107人の犠牲者を含む無惨な受難地獄であった。当駅も駅舎ホームは文字通り河原と化したがこの石(6トン)は東南約500メートル先の玉川から押し流されてきたものである。
昭和56年1月15日建立 玉水駅
この辺りの川は ほとんどが 天井川になっています。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き長1129 大きな燈籠 千眼講 柳谷
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寂照院は、平安時代初めに僧道雄(?~851)が乙訓郡木上山に華厳宗に道場として建立した「海印寺」の子院の1つとされています。本尊は木造千手観音坐像(鎌倉時代)で、木造菩薩坐像(平安時代)、木造四天王立像(鎌倉時代、京都府指定文化財)などが伝わっています。
仁王門には、仏法の守護神である木造金剛力士像が安置され、目鼻立ちや筋肉の抑揚、衣の皺や動きをやや誇張気味に表現する様式は、鎌倉時代の写実様式が形式化した頃の作例に特有のものです。
昭和40年(1965)の解体修理によって、両像の像内から納入品が発見されました。それら納入品や吽形像の刻銘かどから、木造が康永3年(1344)に西岡地域の人々からの寄付で、海印寺のために造立されたことがわかりました。制作年の明らかな南北朝期の金剛力士像の基準作例であるとともに、造像の過程やその背景を知ることができる貴重な例です
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院中0699 革堂 (こうどう)
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