歴史
山主神を祀っており、中世以降、代々主水正を世襲し、宮中で使われる氷のことにたずさわった清原家が氷室や氷池の守護神として勧請したと伝えています。創建年代や沿革に関する詳しい資料はありませんが、
江戸時代の氷室神社や村の様子は「都名所図会拾遺」に描かれています。
境内の主な構成は本殿、拝殿、摂社からなりますが、このうち拝殿は方一間の柿葺きで、寛永13年(1636)に後水尾天皇の第2皇女が近衛家に降下した時に造営された御殿内に建っていたものとつたえられるものです。
氷室は、氷を保存した所で、冬に氷池でできた氷を保存し、
夏に宮中で使用されていました。
『日本書紀』仁徳62年条にみえる氷室が文献による初見で、額田大中彦皇子が大和国闘鶏に仮に出た際、山中で氷室を発見し、氷を天皇に献上したことが記載されています。
この氷室の地は、「延喜式」主水司に記載された山城国愛宕郡の5か所の氷室のうち「栗栖野氷室」にあたり、
本神社の北西方向、ここから杉坂に至る道の北側に現在3基の氷室址が残っています。
氷室神社の詳しい成立年代や、現存する氷室の時期などについて、不明な点が多いものの、氷室の遺構と氷室に関係する神社が現存する貴重な史跡であり、地域の歴史上特に価値の高いものです。
平成6年4月1日 京都市
氷室神社
祭神は氷を造った額田大中彦皇子に奉った稲置大山主神を祀る。本殿の前にある拝殿(重美江戸)は東福門院の寄進とつたえ、桧皮葺前後に唐風屋根をかけ両側側面に三角の千鳥破風を作った珍しい構造で蟇股には桃山風の花鳥彫刻をほどこしている。
これは元和年間、後水尾天皇の内裏小御所の庭にあった釣殿の遺構と伝える。
氷室・氷池・氷室神社と三者そろって現存する遺跡は京都市に於いてはここだけである。当社は古来痘瘡の神として信仰され例祭6月15日は昔宮中に氷を献上した日にあたる。前日には、菓子の「水無月」を氷に見立てて本殿に供え、甘酒が振る舞われる。
9月15日には、氏子総出で境内のヒノキ林の整備を行う。
゛夏ながら秋風たちぬ氷室山
ここにぞ冬を残すと思へば゛ 定家 (拾遺愚草)
昔の書物に記載されている
氷室神社の周辺
本殿
拝殿
本殿
拝殿
拝殿の蟇股
本殿
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