歴史 794年 平安京造営時 桓武天皇が800年に行幸
以来天皇の行幸数知れず824年 空海が降雨をここで祈りました
863年 御霊会が行われる
869年 都に悪疫はやり、鎮めるため
祇園社から神泉苑まで神輿を担いで巡行
これが祇園祭の起こりといわれるが正史にはありません
1602年 徳川家康が二条城をつくるため神泉苑の領地を割き取る、
最初の10分の1に
現在のものは1607年 筑紫の僧が再興した以来
東寺派の寺となりました
本堂には 本尊聖観音像 、放生池 、
島には善女竜王を祀る 、
鐘楼は1646年の銘、
供養塔には 快我、片桐且元、板倉勝重の3基があります
恵方社、神泉苑狂言(2014年~は11月実施)
内容は壬生狂言と同じです
神泉苑の前の通りを 御池通りといいます
平安京造営のときに設けられた禁苑で、
中央の放生池の島には、雨乞いの神、善女竜王が祀られている。
後白河法皇の命で、白拍子・静が100人目に
雨乞いの舞を奉納したところ、
見事雨が降ったため「日本一」とほめられたという。
戦功をあげた義経と、池のほとりで出会ったと伝えられている。
延暦13年(794)桓武天皇が平安京の造営に当たり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑池で、
常に清泉が涌き出すことから神泉苑と名づけられた。
その境域は、南北4町、東西2町という広大なもので、苑内には大池と中嶋のほか、
乾輪閣や釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊、観花、賦詩、弓射、相撲などの行事や
遊宴を行ったといわれている。
天長元年(824)春の日旱にこの池畔で東寺の僧空海が
善女龍王を祀って祈雨の法を修して霊験があったと伝えられ、
以後当苑では名僧が競って祈雨の修法を行うになった。
また貞観5年(863)には、初めて当苑で御霊会が執行されるなど、
宗教霊場として利用されるようになった。
現在は、東寺真言宗に属し毎年5月1日から4日間の神泉苑祭には、
壬生狂言の流れを汲む神泉苑狂言(京都市登録無形民俗文化財)が執り行われる。
京都市
神泉苑と謡曲「鷺」の由来
京都の地形は北高西南低で、昔この辺りは湿地帯となっていたが、
それをうまく利用して禁苑としたのが神泉苑である。
かつて広大な地を占め、天皇後遊の庭園として、四季折々に華麗な行事が催されている。
また苑池には水鳥も多く野鳥観察に最適のちともされていた。
源平盛衰記には醍醐天皇の時代、宣旨に鷺さえも羽をたたんて、
かしこまった話がのせられており、
謡曲「鷺」は、これをもとにつくられている。俗に゛五位鷺゛というのは、
このとき天皇から五位の位を賜ったことから、
このようによばれるようになったといわれている。 謡曲史跡保存会
善女竜王社です 右は 恵方社です
善女竜王社です
善女竜王社です
本堂です
無縁仏です
本堂に祀られている像です
本堂の扁額です
提灯
左・香炉です
右・放生供養塔です
池のほとりにありました
左・弁財天です
右・鯉塚、亀塚です
稲荷社です
恵方社では 毎年 12月31日 夜10時半になると
次の年の恵方に向きを変えて据えます
社の背中が恵方の方向になるようにしてあります
日本で唯一の恵方社です。 神泉苑の歳徳神
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