間之町通は分断されている、高辻通~松原通で再び出現して、また松原通~万寿寺通で遮断される。
そこから七条通まで枳殻邸の横を通って、七条通にまでまっすぐに通じている。途切れ途切れに続くのが間之町通。
ここは 竹屋町通を南方向に見ています。
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間之町通は分断されている、高辻通~松原通で再び出現して、また松原通~万寿寺通で遮断される。
そこから七条通まで枳殻邸の横を通って、七条通にまでまっすぐに通じている。途切れ途切れに続くのが間之町通。
ここは 竹屋町通を南方向に見ています。
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戦国期のおよそ百年、京都は一条通以北に上京の町々があり、下京の町々はほぼ三条通以南、松原通以北に集中していた。
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現在の間之町通のスタート地点は丸太町通で、ここから南下すると、すぐ姉小路通で行き止まりとなる。
この行き止まりは高辻通まで続く。
神祭具 御冠 烏帽子 の店
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1742 間之町通 北の端 丸太町通
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間之町通 約2㎞ 高倉通と東洞院通の間にできた通りなので「間之町通」(あいのまちとおり)と呼ばれた。
豊臣秀吉の都市大改造によって誕生した通り。
ここから南へ行くことにします。
北の端 京都御苑
西を見る
南を見る 進行方向になります。
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2019年11月12日 撮影
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1739 植物園から比叡山を見る景色
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府立植物園には 約70種の桜が植栽されています
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1736 植物園内の彫刻 植物に覆われて詳細不明
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丸い所は時計が埋め込まれていた。 文字は 明治天皇の歌が詠まれている。との事らしい。
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関連記事 ⇒ まとめ020 彫刻
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き1735 植物園内の彫刻 「十五夜の力士」 抜水政人 2003年
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設立記念碑解説
大典記念京都植物園設立記念碑
この石碑は、当植物園の開園に際して尽力された第10代京都府知事 大森鍾一氏と
三井家の功績をたたえて昭和3年にたてられたものです。
碑文には、大森知事が大正天皇の御大典記念に植物園の創設を企画したこと、
代々京都に在住していた三井家(総本家当主第10代三井八郎右衛門)が
建設費・維持費の総額55万円を数回に分けて寄付されたこと、
大正6年4月9日に着工し、同12年11月10日に竣工したことなど、開園にいたるまでの経緯が記されています。
御大典紀念碑のあるところ ⇒ まとめ051 関連0008 御大典記念のあるところ
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