茅葺の家
大原の里は、かつては茅葺の里でした。夕方ともなると破風(はふう 大屋根の三角の換気孔)から夕餉の煙の立つ様はのどかそのものでした。
今では、年々減少して残り少なくなってしまいました。
この田中家は、築200年経ってはおりますが、保存もゆき届いてその優美な姿では屈指のものです
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1103 大原の風景
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出世稲荷神社
天正15年(1587)に関白太政大臣、豊臣秀吉公が聚楽第を造営するに際し邸内に日頃より信仰していた稲荷神社を勧請しました。翌年、後陽成天皇が聚楽第に行幸し稲荷社に参拝したときに、立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたという。
聚楽第取り壊しの後も元の場所に鎮座していたが、寛文3年(1663)に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近、京都市上京区千本通竹屋町下ル)に遷座しました。開運出世の神として大名・公家から庶民までの崇敬を受けた。江戸時代後期には庶民が寄進した三百本を超える鳥居が立ち並んでいたという。近代に入ると千本通界隈が映画興行の街として繁栄したため、牧野省三や尾上松之助が鳥居を寄進した。
2012年(平成24年)6月に京都市上京区より左京区大原に移転した。
御神徳
1 開運出世の福
2 衣食住の福
3 地位名望の福
4 衆人愛敬の福
5 農工商其の他一切の生業に大繁盛の福
6 延命長寿と病気平癒の福
7 千客万来の福
8 武運長久の福
9 善智識の福
10 金銀財宝の福
新門辰五郎 寄進の狛犬
天明6年建立の鳥居 (1786年)
平成30年11月27日 撮影
大正15年 建立
神社 前回の記事 ⇒ 神社左0203 梅之宮神社 石碑左0209 大原小学校創立跡
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右 證拠阿弥陀如来
円光大師二十五霊場
第二十壱番札所 勝林院
左 古知谷 道
わかさ 大坂巡拝講建立
明和五戌子年九月 講元 浄正 道為 (1768年)
道標 前回の記事 ⇒ 道標左0267 魚山 敦賀街道
関連記事 ⇒ まとめ043 大阪皇陵巡拝会 の 道標
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右 魚山 是より 六丁
明治43年6月 京都中井三郎兵衛建之
左 敦賀街道 寂光院
関連記事 中井三郎兵衛 ⇒ 石碑東0114 将軍塚 付近 井上
道標 前回の記事 ⇒ 道標左0266 横川元三大師道 三千院道
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土田麦僊 高浜虚子 が 宿泊
まち歩き前回の記事 ⇒ まち歩き左1099 大原 風景
関連記事 ⇒ 石碑山0060 元祖走井餅本家
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摂取院 (蛇寺)
竜女山 と号する 浄土宗鎮西派の尼寺。俗に蛇道心寺ともいう。
寺伝によると、当寺の開基浄往法師は在家の頃、妻の妹と密通し、妻はこれを苦にして悶え死んだ。その怨霊が小蛇となって男の首にまいつき、はなれようとしない。男は前非を悔いて出家し、この地に草庵をむすんで亡妻の冥福を祈ったところ、晩年になってようやくその蛇はその首からはなれたという。
それより村人はこの法師を蛇道心とよび、寺を蛇寺とも蛇道心寺とも呼ぶようになったと伝える。因みに女に祟られるものが参詣すれば、厄をまぬがれるとつたえる。
寺院 前回の記事 ⇒ 寺院木津川0676 妙楽寺 顕本法華宗
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