寂光院
天台宗延暦寺に属する寺。『平家物語』がつたえる蓮礼門院ゆかりの地として知られ、多くの人が訪れる。
寺伝によると、推古天皇2年(594)聖徳太子が用明天皇の菩提を弔うために建立され、
太子の乳人玉照姫が初代の住職をつとめたとある。
また一説には、承徳年間(1097~99)聖応大師良忍の開基ともつたえる。
来迎院配下の子院として平安末期に創建されたものである。
中世以降は近江の国坂本の聖衆来迎寺に属し、
同寺で得度した尼僧が寂光院の歴代の住職をつとめるならわしとなり、現在におよんでいる。
建礼門院が当院の傍らに一宇をむすび、平家一族の菩提を弔われたのは、
文治元年(1185年)9月と伝え、次いで後白河法皇が夏草の茂みをふみわけ大原へ御幸されたのは、
その翌年の陰暦4月下旬であったことは『平家物語』によって知られるところです。
このとき女院は花を摘みに外出中であったが、法皇は荒れ果てたわびしい庭内に入って
池水に汀の桜散り敷きて浪の花こそ盛りなりけれ
とよまれ、また庵室の障子にしたためられた女院の御製とおもわれる
思いきや深山の奥にすまひして雲井の月をよそに見んとは
という歌をご覧になり、往時の女院の華やかな暮らしを追憶して落涙された。
しばらくして山から戻ってこられた女院は、予期せぬ法皇の御幸におどろきつつ、
3年ぶりの対面をされ、六道輪廻にたとえて変転極まりなかったご自身の生涯について語られた云々。
・・・平家物語の要約・・・
現在の本堂は室町時代の建立であるが、慶長4年(1599)豊臣秀頼の母淀君によって改修され、
同8年(1603)には寺領30石が寄進された。
堂内には女院像や阿波内侍張り子の像を安置しているが、
本尊は2mをこえる地蔵菩薩立像(室町時代)であり、
内陣壁面におびただしい地蔵菩薩の小像を安置するのは、
当寺がはじめ地蔵信仰とむすびついた寺であった。
現在の寂光院は『平家物語』にちなんで、堂前の池を「みぎわの池」、桜を「みぎわの桜」、
向かいの山を「翠黛山」、谷の林を「緑羅の垣」と称し、古典平家の文学遺跡としてある。
2000年(平成12年)5月9日に放火で焼失した(犯人未逮捕のまま2007年(平成19年)5月9日公訴時効成立)。
この際、本尊の地蔵菩薩立像(重要文化財)も焼損し、堂内にあった徳子と阿波内侍の張り子像
(建礼門院の手紙や写経を使用して作ったものという)も焼けてしまった。
現在の本堂は2005年(平成17年)6月に再建された。
同時に新しく作られた本尊や徳子と阿波内侍の像も安置されている。
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