
走井餅茶屋跡。走井餅は江戸時代中期の明和元年(1764)に大津で創業、
湧水「走井」と近江の米を用いて、
初代井口市郎右衛門正勝が飴餅を作ったことに始まる。
刀の荒身を模した独特の餅は、平安時代の刀鍛冶・三條小鍛冶宗近が走井で名剣を鍛えたという故事にちなみ、
剣難を逃れ、開運出世の縁起を担いだものと伝えられている。
歌川広重の浮世絵「東海道五十三次大津」にも走井茶屋が描かれた。
明治・昭和期の俳人高浜虚子も「真清水の走井もちを二つ食べ」と一句詠んでいる。歌碑は月心寺にある。
明治40年には八幡の石清水八幡宮前にも店を出した。
が、鉄道開通により峠越えの旅人も少なくなり、
昭和の初めに本家は廃業した。
昭和32年10月
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