贈従五位赤松小三郎先生記念
昭和十七年建 京都信濃会
慶応三年九月三日於此遭難
赤松小三郎(1831~67)は信州上田藩士。
江戸で蘭学や西洋砲術を学び,勝海舟(1823~99)とともに長崎の海軍伝習所に赴任しました。
のち,京都で私塾宇宙堂を開きました。
薩摩藩から招請を受けましたが,公武合体論を唱えたため,
慶応3(1867)年9月3日,帰宅の途中,薩摩藩士に暗殺された。
この石標は,赤松小三郎が暗殺された地を示すものです。
墓所は 金戒光明寺にある
次の画像は 金戒光明寺のもので 一番左の案内石柱に赤松小三郎と記されています
幕末・上田藩士の名前
赤松小三郎
稲垣信
小河滋次郎
鈴木銃太郎
鈴木親長
正木直太郎
松平忠厚
山極勝三郎