アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑中0055 小浜藩邸跡  徳川慶喜も使った

2015年05月15日 08時01分52秒 | 石碑

小浜藩邸

若州小浜藩邸跡 通称 若州屋敷

ここ池ノ内町一帯は江戸時代京都所司代を三代21年の長きにわたって務めた

譜代名門の若州小浜藩酒井家12万2千石の京都藩邸跡である。

その敷地は東西220m、神泉苑通から智恵光院通まで、

南北260m御池通から三条通まで、

その他家臣の屋敷が西側に きもこれらを含めると

約2万坪の広大な藩邸であった(二条城は約8万坪)

又、この屋敷はのちに徳川15代将軍となった慶喜公が

文久3年(1863)12月から使用し、

慶應3年(1867)9月21日二条城に移るまでの3年10ケ月、

京都における幕府の活動拠点となり、

この間ここで四賢侯会議を始め、

京都守護職、老中、所司代ら幕閣要人等と協議を重ね、

大政奉還の腹案を持って二条城に入り、

慶應3年10月14日の布告となった。

この屋敷が幕末我国にとって重要な役割を演じ、

その決断が下された場所である。

当時の面影を残すものは無く、唯一前に立っている燈籠あり、

側面に萬延二辛酉二月(1861)正面に白須甲斐守源政偆とある。

福井県 小浜市

幕末藩士 ➔ 梅田 雲浜

石碑 前回の記事 ➔ 石碑中0054 今は走っていない京都市電 記念石碑

 

 

下のユーザー地図で京都市内の記事探索が出来ます

 

 



最新の画像もっと見る