京都市非公開文化財特別公開で、廣誠院が公開されています。
場所的に、友人と何回も食べに行った京町屋の中華料理の店 「一之舟入」の前にある
お屋敷のようです。
以前からなんのお屋敷?と気になっていました。
廣誠院は、もとは薩摩藩士で、実業家の伊集院兼常が明治25年(1892)頃に
建てたもので、明治期の優れた数寄屋邸宅とのことで、現在は臨在宗の寺院
となっています。
京町屋の中華料理の店「一之舟入」が向かいにあります。
廣誠院門
廣誠院の主要な建物は,書院・茶室・広間などからなり、
書院まわりは軒の出が三メートル以上の庇になっており,
その深い軒を一本の丸太の桁が支える軽快な構造になっている。
茶室は庭園の流れをまたいで建ち,躙口や円窓が開いている。数寄屋普請の技術が
遺憾なく発揮された,明治期の優れた数寄屋邸宅である、 との素晴らしい建築でした。
建物内、庭などすべて、写真撮影が禁止でした。
高瀬川から庭の水を取り入れてあります。後ろの建物はホテルオークラ
この一帯は幕末まで長州藩邸があったところだそうです。
鴨川に面した店 幾松の路地
(廣誠院のブログの文字クリックすると庭の写真や歴史の詳しいブログにリンク
出来ます。その時には庭の撮影が出来たようです)
場所的に、友人と何回も食べに行った京町屋の中華料理の店 「一之舟入」の前にある
お屋敷のようです。
以前からなんのお屋敷?と気になっていました。
廣誠院は、もとは薩摩藩士で、実業家の伊集院兼常が明治25年(1892)頃に
建てたもので、明治期の優れた数寄屋邸宅とのことで、現在は臨在宗の寺院
となっています。
京町屋の中華料理の店「一之舟入」が向かいにあります。
廣誠院門
廣誠院の主要な建物は,書院・茶室・広間などからなり、
書院まわりは軒の出が三メートル以上の庇になっており,
その深い軒を一本の丸太の桁が支える軽快な構造になっている。
茶室は庭園の流れをまたいで建ち,躙口や円窓が開いている。数寄屋普請の技術が
遺憾なく発揮された,明治期の優れた数寄屋邸宅である、 との素晴らしい建築でした。
建物内、庭などすべて、写真撮影が禁止でした。
高瀬川から庭の水を取り入れてあります。後ろの建物はホテルオークラ
この一帯は幕末まで長州藩邸があったところだそうです。
鴨川に面した店 幾松の路地
(廣誠院のブログの文字クリックすると庭の写真や歴史の詳しいブログにリンク
出来ます。その時には庭の撮影が出来たようです)