小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二月二十八日、二十九日、晦日

2016-05-07 | 嘉永四年 辛亥日記

二月二十八日  
おおいに晴れる。
6時過ぎから起きてこしらえ、岩一郎は高野御前に参る。
昨夕、芳太郎が誘いに来た。万二郎、芳右衛門も一緒に行った。夕方に帰った。
早朝に手ぬぐいを取りに行く。
主人は学校文会があって2時過ぎに出る。
その前に田中善一殿がきたので連れて行った。
嶋本種楠、忌明けの挨拶に来た。
小梅は昼過ぎから桐の板と小張箱へ絵を描く。
主人は10時前に帰宅した。

※高野御前
高野山の慈尊院のことでしょう。日帰りのようで足が速いのに驚きます。


二月二十九日 
吹き降りの雨が激しい。
今日は初めて牛町の山中作右衛門殿逗留処へ教えに行く約束なので、権七を呼びに御馬やへ豊を呼びに行く。
昼飯、夕飯を食べさす。
帰りに海野へ行き、権七を先に帰らす。
昼過ぎに野呂がきて直ぐに帰った。
岡野に提灯を返させる。
夕方に主人が帰る。
梅本から白魚少々届く。


二月晦日 
大いにむせる。
昼頃に馬継から使いが来てよもぎ餅30と金山寺少々を使いに持たせ寄越した。
小梅は返事を書いて使いを帰す。
2時過ぎに岩一郎が橙を15持って出口へ行き、夕方に帰る。
主人は4時頃から芳右衛門の家に明日の七山へ行くのを誘いに行く。
梅本は二人とも断る。
清吉も高野に行くので断る。
善一殿は夜に来て行くとのこと。
10時過ぎに主人は帰る。芳右衛門方で酒を吞んでいたとのこと。
芳右衛門殿は明日行くという。
米与にて六十目借用した。



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