「相模七里ケ浜」 (神奈川県鎌倉市)
七里ケ浜は鎌倉から江の島を結ぶ道として使用され、沿道には茶屋が出てにぎわい、浮世絵にもしばしば描かれた。右手の茶屋では揃いの着物の女性二人がくつろいでいて連れ立っての江の島詣と思われる。茶屋の軒下には広重のトレードマークである「ヒロ」印をあらわした提灯や、版元である「蔦吉」などの文字の入った旗が下がっていて、浜では二人の地元の子供が後ろ姿の旅人に銭をねだっており、旅人は右手で銭を与えている。浜はゆるやかにカーブして奥に続いてゆき、その先には江の島と富士山が姿を見せている。
「両国回向院元柳橋」(えこういん)
両国の国豊山無縁寺回向院は、明暦3年(一六五七)正月に本郷丸山町の本妙寺より出火した、明暦の大火(いわゆる「振袖火事」)の焼死者の供養のために建立された。この際の死者は十万余。四百余の町を焼き、江戸城本丸・二の丸・三の丸をも焼き尽くした大火災であった。寛政3年(一七九一)以降、この境内では、春と秋の年二回、十日間かけて勧進相撲が行なわれた。図の左方、回向院境内に組まれた相撲の櫓には、晴天の興行を意味する白の梵火が掲げられている。西南(画面左)に松本藩主松平家の下屋敷を望み、対岸に元柳橋を描く。「難波橋」と称されていた橋のたもとに柳が生えていたため「柳橋」とも呼ばれるようになったらしいが、元禄年間(一六八八~一七〇四)に北側の神田川河口に新たに『柳橋」ができたため、「元柳橋」と称されるようになったといわれる。