江戸時代後期、多摩川の河口には広大な洲が形成されていた。 この洲の南の先端に羽田弁天と呼ばれる古い弁天堂があった。中ほどには、穴守稲荷と呼ばれる波除(なみよけ)の稲荷もあり、参道沿いに何百本も続く奉納鳥居で有名だった。図は現在の羽田空港がある辺りから、房総方面を望んでいる。船頭の脇に見えるのが弁財天、海上のはるか向こうには房総の山々が描かれている。
黄檗宗の禅寺、羅漢寺の境内には「栄螺堂」という、らせん状に昇る三階建ての三匝(さんそう、と読むが江戸訛りでこれを、さざえと読んだ)堂があった。建物の内部はらせん構造で、上りと下りがそれぞれ一方通行になっており、参拝客がグルグル廻りながらすべての羅漢像を見られる様になっていた。この辺りは江戸の郊外で、景色も素晴しく北斎も「冨嶽三十六景」で取上げている。安政の暴風雨や大地震で荒廃し、五百羅漢寺は明治になって目黒へ移転して栄螺堂は現存していない。