切り絵

浮世絵を切り絵に

木曾海道六十九次 柏原

2022年07月28日 | Weblog

「柏原」

江戸を発って近江路はじめての宿場柏原の名産は、伊吹もぐさである。昔から灸に使われる「艾」のことで、原料はヨモギの葉である。亀屋は、現当主五十三代によって健在である。店の右端に福助像、中央に伊吹山の盆景、左端に金太郎像があり、奥底を見させての「酒さかな」「金時もちや」を営業させ、当時の繁栄ぶりを忠実に描いている。

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2022年07月27日 | Weblog
 
木曽海道六十九次 小田井
「小田井」追分宿のはずれ、北国街道といわれる小諸・上田経由で善光寺へと通ずる、広々とした原野がつづく小田井宿。遠く浅間を望み、すすきの生い茂る無人の荒野を「本堂造立」の旗......
 

 

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木曾海道六十九次 今須

2022年07月18日 | Weblog

「今須」

関ケ原から一里で今須宿に至る。さらに柏原の方へ行くとこの絵の長久寺の集落に出る。「江濃両国境」「寝物語由来」「不破之関屋」などの字が見え、此処が近江と美濃の国境であることがわかる。不破の関は越前の愛発、伊勢の鈴鹿とともに日本三関の一つといわれ、近江と美濃の国境地点に近く、古代、近江朝廷を守る中仙道上の要地であった。

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一年前のブログ

2022年07月15日 | Weblog
 
木曽街道 追分
「追分」追分宿は中仙道と善光寺道の分かれる所で、中仙道で最も高い地点にある宿駅である。上信国境に裾を広く拡げた美しい山をもつ浅間山は、三重式活火山で那須火山帯に属す。標高......
 

 

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木曾海道六十九次 関ケ原

2022年07月10日 | Weblog

「関ケ原」

 「名ぶつさとうもち」「そぼきり」「うんどん」と書いた提灯や看板が見える茶店は、内に草鞋や傘などもぶらさげている。蕎麦切りと云う言葉は慶長ごろから使われ、後に「そばは江戸、うどんは上方」と云われたが、此の様に一緒に売り出すようになった。関ケ原宿は北に伊吹、南から鈴鹿の山が迫り、平地の最もくびれたところで、昔は中仙道きっての大宿であった。関ケ原は石田三成(豊臣方)と徳川家康が戦い、徳川家が天下を取る契機となった古戦場である。

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木曾海道六十九次 垂井

2022年07月02日 | Weblog

「垂井」

松並木を通り大名行列が垂井宿に入る処だ。入り口の両側には土塁が築かれている。先導する蓑笠の二人は問屋場の下役達で、傘をさし手を出しているのは宿役人であろう。「お休み処」「御ちや漬」などの看板をあげる二軒の茶屋には、美人画や風景画の版画が飾られている。日中軽い雨が降っている。垂井宿には天保十四年(1843)家数が三百十五軒だった。

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