目黒の新富士は、旗本近藤重蔵が文政2年(1819)に邸内につくった富士塚の名称で、すでに七年前にあたる文化9年(1812)につくられていた目黒の富士塚と区別して、こう称された。近藤重蔵は、千島列島や蝦夷地など北方の探検者として著名で、この富士塚も彼の発意でつくられたものと伝わる。富士塚とは富士講の人々が信仰の対象として築いたもので、最盛期の天保年間(1830~1844)には江戸市中に「八〇八」といわれるくらい多くもの富士講があったと伝わる。富士山に模してつくられ、曲がりくねった山道は富士山の九十九折の登山道に倣っている。山の中腹にあたる曲がり角には烏帽子岩をかたどった石と社があった。現在の中目黒二丁目付近にあたり、手前に描かれているのは三田用水の支流である。
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