「駿河三保之松原」
三保の松原は、駿河湾に伸びた白砂青松の砂洲で、古代より歌枕として和歌に詠まれ、名所絵としても描かれた景勝地である。羽衣伝説の舞台としても知られている。三保の松原を題材とした絵画の多くは、右手から松の茂る砂洲が伸び、その奥に富士の稜線を配した構図で描かれている。この絵の時刻はいつ頃であろうか。空には明るさが残り、淡く水色をぼかした海が残照を映す夕暮れ時のようだ。富士も山々も松原も影に沈んで色を失いつつある。沢山の帆掛け船が清水湊に戻ってきており、松原の手前の三保浦にはすでに帆をたたんだ船も停泊している。海浜に暮らす人々の、一日の仕事を終えた安堵感が漂うような穏やかな情景である。
「東都一石ばし」
一石橋は日本橋の西隣に架かる橋で、両側に後藤家の屋敷があったことから「五斗五斗」で一石橋と名付けられたとの俗説がある。橋上から七つの橋を見ることができたため、一石橋も含めた「八つ見の橋」の別称でも知られていた。画面手前の橋が一石橋で、水路の十字路を越えて奥に架かるのは銭瓶橋、さらにその奥には小さく道三橋も描かれている。銭瓶橋のたもとより奥は、長く伸びる大名屋敷の外壁や霞で視界が遮られているが、その中に江戸城が忽然と姿を現し、遠方には富士山が江戸の中枢を見守るようにそびえている。五街道の起点であり、日に千両もの取引があったといわれる魚河岸を抱えた日本橋は、まさに江戸の中心地であった。