角筈村(西新宿)にあった熊野神社は、応永年間(一三九四~一四二八)に紀伊半島にある十二の神社を勧請し祀ったことから、熊野十二社と称したが、のちに「十二叢」とも書いて一帯の俗称にもなった。江戸時代には川をせき止めて社殿の西に弁天池、北東に滝をつくるなど、景観も整えた。中央に弁天池が大きく描かれており、そのまわりには料理屋などが置かれ繁盛した。四季折々の桜や紅葉が人気を呼び、とりわけ夏には納涼にふさわしい場として多くの人々が集まった。
「武蔵多満川」
多満(多摩)川は、奥秩父に源流をもち、武蔵国、六郷、羽田をへて江戸湾へ注ぐ流である。古歌に詠まれた六つの名高い玉川のうちの、「調布の玉川」としても知られていて、江戸近郊の行楽地として親しまれていた。現在の東京都日野市付近の流れを描いたものと考えられる。この地には日野の渡しがあったが、水量の減る時期には、土橋を架けたと云われている。釣竿を持った父と子とおぼしき二人が、柳のそばに架けられた橋を渡っていき奥の方には釣り人の姿が小さく見える。かれらは多摩川名物である鮎つりを楽しんでいる様である。