切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 六十余州名所図会 日向 油津之浜飫肥大島

2015年05月22日 | Weblog

油津之浜飫肥大島」(宮崎県日南市油津

日向(ひゅうが)は九州東南の地にあって、南北に長く、沿海は平野部を大きく構成している。油津は飫肥(おび、宮崎の南十一里)の東南二里にある。その港湾は南面して、小さいが、利便の地として知られる。江戸時代には五万七千石の飫肥藩から、飫肥杉が木造船用材木として出荷されていた。現在は、油津漁港が、カツオ漁の基地として機能している。

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広重 富士三十六景 東都佃沖

2015年05月12日 | Weblog

「東都佃沖」

徳川家康の江戸入府にともなって摂津国佃村の漁師が江戸に召されると、彼らの定住地として隅田川河口の干潟が下賜され、埋め立てられた干潟は移住前の地名にちなんで佃島と名付けられた。一面の広がる葦原は、河口に特徴的な砂州状の地形になっている。佃島本湊町の北側に京橋川と隅田川の合流点が有り諸国からの廻船はここで物資を茶船に積み替え市中を巡る水路で市中に運んだ。多くの弁才船が帆を下して停泊する様子は隅田川河口のおなじみ風景であった。

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広重 富士三十六景 駿遠大井川

2015年05月02日 | Weblog

駿遠大井川」  (静岡県島田市

「越すに越されぬ大井川」と馬子唄にうたわれた東海道屈指の難所、大井川の川越しの情景である。川越人足たちは歯を食いしばって勢いよく進み、駕籠に乗った女性は腰を引き気味にして振り落とされないように座布団の端を掴んでいる。人足たちにまとわりつく濃紺の波は、いかにも冷たく重そうだ。「輦台越し」の揃いの着物の二人の女性は、川越しに慣れているのか気楽そうに片膝をついておしゃべりし、その向こうには大名行列の一行や「肩車越し」で渡る姿も見える。輦台の上から眺めているかのような視点で、川を渡る様子や人々の表情を捉えている。対岸は島田宿側で、護岸のための松林や水除堤がある。松林の奥には島田宿の家並みも感じられる。駿河国と遠江国の境、金谷宿と島田宿の間を流れる大井川は、関東の防衛のため橋が架けられず、渡し船も置かれる事がなかった。大名も庶民も区別なく、川を渡るには川会所の管理のもと馬や人足を利用しなければならず、洪水になると水が引くまで足止めされる事になった。川越し料金は、その日の水深と川幅、人足の数や渡る方法で変わり、水かさが脇の下を超え肩になると川留めになった。

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