切り絵

浮世絵を切り絵に

広重 東海道五十三次 平塚

2019年08月21日 | Weblog

「平塚」

唐ヶ原のくねったあぜ道の先に平塚の宿場がある。「く」の字に曲がった道によって、丸い形をした高麗山との距離感を出し、さらに富士山を遠くにのぞかせている。江戸から来る旅人が平塚宿に入ると、正面に高麗山が聳える。宿泊客の少なかった平塚では、日暮れにはまだ間があって通り過ぎようとする人を、「大磯へは、あの高麗山を越えなければ行けません,これから越えるのは大変です。」と言葉巧みに無理やり宿泊させたという。

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東海道五十三次 戸塚

2019年08月11日 | Weblog

戸塚

早朝に日本橋を発った旅人が、戸塚に到着する頃の夕景が描かれている。「こめや」の看板が目立つ茶屋は、米で作った餅菓子で有名な店で、軒下には伊勢参りをするの名前を記した木札が掛けられている。中央に描かれている灯篭脇の石柱には「左りかまくら道」と彫られ、鎌倉へ行く分かれ道を示している。馬から降りる旅人、笠の紐を解こうとする旅装の女、それを迎える茶見世の女の姿が夕暮れ近い風景に溶け込んでいる。橋畔の茶見世「こめや」は現在は現存しない。

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広重 名所江戸百景 両国花火

2019年08月01日 | Weblog

両国花火

隅田川を挟んで武蔵と下総の二国に架けられた橋ということで両国橋の名が付けられ、その界隈を両国と呼ばれた。両国は江戸第一の繁華地として、見世物・芝居・辻講釈などに屋台店も並び、昼夜の遊興で賑わっていた。江戸時代、花火といえば両国橋近辺での納涼イベントとして有名で、群衆が押し寄せ通行を規制したほどであった。江戸時代は花火の技術が発展した時代でもあり、江戸だけでなく、現在の長野県や愛知県などでも花火が作られ、打ち上げられた。

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