肥後国(熊本県)は九州中央にあって、三方を山がおおい、菊池・阿蘇・益城・球磨の四大河は、その山嶺から生じて、西に流れ一方の海に注ぐ。その阿蘇・益城・球磨の上流は火山や盆地を形成して、別天地の感をもたせ、奇怪と峻険の地として名高い。五かの庄は、球磨川の上流の地の山谷深き九州第一の僻境といわれる所である。椎原・久連子・樅木・葉木・仁田尾の五村からなり、北は矢部、南は五木江代、東は椎葉、西は種山、皆険阻で名高い地に囲まれている。深山の谷地ともいう地で、平家の落人が住みつき、秀吉の頃までその存在が知られずにいたという所としても有名である。「北斎漫画」から借用した図であることは知られているが、北斎は何から自身の図を得たかは明らかではない。雲煙たちこめる谷にかかった橋に杣人、深山幽谷の感がみなぎっている。杣人の黄の着物が図中の中心にあって効果的である。
画面中央を流れる隅田川に左手前からほぼ直角に合流しているのが「山谷堀」音無川の三ノ輪あたりから隅田川の今戸をつなぐように掘られた掘割で、水害対策とともに、灌漑の補助もかねていた。こういった堀は江戸にはたくさんあったが、堀といえば「山谷堀」を指すほど著名で、船宿や茶店が堀の両岸に並んだという。この山谷堀沿いをすすむと「新吉原」の遊郭へとつづく。この堀は現在上をふさがれた暗渠となり「山谷堀公園」としてその名を残している。右下に見える建物は待乳山本龍院で、浅草名物七福神の毘沙門さんにあたる現存する寺院です。いかがわしくも江戸の風俗のメッカともいえるこの地を、雪の朝の清浄な風景として広重は描いている。