▢以前のブログにも書いた書籍『聖書がわかればアメリカが読める』(鹿嶋春平太著・2001年 PHP研究所発行)を読み返してみた。
【参考ブログ】
(1)『なぜ、米国が世界で嫌われるのか?』(2012・7・28)
(2)『アメリカ合衆国という国を理解するには?』(2012・4・27)
著者・鹿嶋氏曰く、『太平洋戦争時の日本の外務大臣・松岡洋右は、長いアメリカ生活を通じて、アメリカ人には弱いものを軽視し、強いものを尊敬する傾向があることを体験上知った。ナチス・ドイツは強いから、ヒットラーと組めば日本は重視されるという確信が松岡外相の基底にあった。ところが、アメリカ人の精神は、もう少し多層構造になっていて、「強い物好き」という気質の根底には「いかに強かろうが、自由の敵とは結局戦うしかない」という意識層が横たわっている。それは、彼らの世界建設の使命感と結びついている。』
すなわち、『アメリカ魂は3つの層からなる重層構造なっていて、意識層 ①は:合理的な「リアリズム」で、リアルに見れば、現実を動かすものは、やはり「力(パワー)」である。アメリカ人が強いものが好きで勝者を英雄視するのは、この意識層から来ている。』
『次の層 ②は:聖書信仰の「霊」と「肉体」の二元論的存在感に基づいている。彼らは、霊は永遠に存続するものと考えている。だから、たかだか100年存続するにすぎない肉体よりも、霊が大事となる。人の意識の本体は、脳神経などの肉体的なところではなく、霊にあるとするのである。だから、現世で人が抱く意識は死後も霊の中で存続すると考える。したがって、彼らの思考がこの層まで降りると、割合簡単に肉体の死をおそれずに正しいことのために戦う人に変貌する。』
『①の「現世合理主義」と、②の「霊本位主義」の2つの意識が、時に応じて交互に出てくるので大変複雑になる。』
『意識層 ③は:アメリカの強さ、活力について見ると、それはキリスト教信仰のあり方を最も根本的なところで性格づけるものから来ている、すなわち「聖書主義」で、あえて言えば、「バイブリズム (biblism)」とでも訳すべきものだった。その神髄は、キリスト教の教典である「聖書」に対して、その読み方も解釈も個人の自由にゆだねるというものである。日本では、キリスト教は一つの解釈(=教理・教義)で、カトリックとプロテスタントの二大潮流から説明されているが、実はヨーロッパには、もう一つの第三の流れ、すなわち 「聖書主義(=「聖書」の解釈の自由)」があった。聖書主義者たちは、一つの「教理」を押しつけようとするものは、徹底的に拒否した。だから、カトリックはもちろん、プロテスタントからも迫害されてきた。両者は「教理主義」で運営していくという点では、共通した教団である。聖書主義者たちは、大量かつ密かに自由の新天地をめざして、早期にアメリカ大陸に移民した。アメリカの活力・創造力をもたらしている最も根底的なもの、それは「聖書主義」である。』と、著者は結論づける。
現在の不可解な世界情勢、特に「ロシアのウクライナ侵略戦争」と中東の「イスラエル・ハマス戦争」に対するアメリカ合衆国政府のスタンスを考える際、この鹿嶋氏の書物は「筆者のバイブル」となっている。また、11月に行われる米大統領選挙、特にアメリカ社会が2つに分断されているといわれている共和党候補・トランプ氏、民主党候補・ハリス氏の言動・政策を理解するのに大変役に立っている。
■YS