先日のテレビ中継されたマラソン・グランド・チャンピオンシップ(Marathon Grand Championship = MGC) には久しぶりに興奮した。来年、2020の東京オリンピックとほぼ同じコースを走ることもさることながら、これでオリンピック出場選手が決まるという一発勝負でスリル満点だった。また、過去のマラソン選手の選考の仕方が何か曖昧で、それを払しょくするようなスカッとした気分になれた。
オリンピックというと、なぜか昔から自分の中では「マラソン」のイメージが最初に浮かぶ。多分それは、1964年の東京オリンピックのとき、高校2年生だった自分の生家(渋谷区)の目の前の甲州街道をゴールド・メダリストになったアベベ選手が駆け抜けっていった映像が鮮明に頭の中に残っているからだと考える。コースは、千駄ヶ谷の国立競技場をスタートし甲州街道を西にひた走り府中で折り返し国立競技場へ戻るもの。当時のテレビではオリンピック競技はあまり生中継はされていなかったし、各競技場に行って観戦するすべも金もなかった。そんな中で実際に競技を観れるチャンスがこのマラソン。家の塀を上って、(実際は父親が大きな燃料問屋(fuel wholesale dealer) をしていたので、高さ3メートルぐらいの売り物の薪の束に上って)「一人」で観戦した。
太平洋戦争の終結直後、1945年に米軍・進駐軍が日本に上陸し渋谷・新宿周辺に軍の宿舎、府中に軍総合司令部を置いたので、甲州街道は東京でも比較的早くから道路の整備がなされていた。【参考ブログ:『マッカーサー元帥』(2015/2/18)】
【アベベ・ビキラ(Abebe Bikila): アフリカ・エチオピアのマラソン選手で、1960年のローマ大会では 42.195 km を裸足(bare foot) で完走・優勝し、東京大会でも優勝した。近代オリンピック史上、マラソン種目の2連覇は同選手が初めてで、それ以降、オリンピックのマラソン競技で世界最高記録を樹立したランナーは出現していない。その後、アフリカ諸国の「高速ランナー」たちが台頭してきたことは周知のとうりである。東京でのアベベ選手の記録は 2時間12分11秒2 で2位以下に4分以上の差をつけた。日本人選手では円谷幸吉(Kokichi Tsuburaya) が「銅」、君原健二(Kenji Kimihara) が8位、寺沢徹(Tohru Terasawa) が15位だった。なお、君原選手は1968年のメキシコ大会で 「銀」を取っている。】
マラソンはやはり、オリンピックの花形(shining star) 競技であり、今から来年を楽しみにしている。■YS
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