タイトル番号に合わせて、今日2月2日表示の駅のカレンダーをここに。特に意味はないが、ネタの為にm(__)m
「ハ~ァイ、涼風鈴子だ・よ~んー、モーニングオンやるJ~。2月ですよ、2月。ようやく。今日は2月2日2-2の日のBlueマンデー。ぞろ目の日が青月。嫌だねぇ~。そーいえばさ、‘‘マンデー,,っていう漫画雑誌は無いよね。確か。どーでも良い話だけどさ。たまに、漫画の中に、そんなタイトルの雑誌読んでるシーンってあるよね。マンデーはなくても、‘‘サンデー,,はあるんだよね。チューズデー、ウェンズデー、サーズデーはなくて、‘‘フライデー,,は、漫画でない雑誌であってサタデーは無い。週末なのにねぇ。そんな話しても致し方無いですが、この“Morning on”は、月曜~金曜毎日ありまして、朝の雰囲気にマッチした放送を木田麻衣子さんが、何故フルネームを出す?あたし?ですけれど、冷静な声で…(やや間が空く)…物真似するかと思った?物真似するかと思った?しないんですね~これが。大不評だったんで諦めていますが、まぁやると。あたし涼風は、その神聖とさえ言える空気を壊すと言うのがルールですね、お約束ですね。涼風トークシ
ョー、プロデュースト、バ~イ、アドバイザー・イドワイザーで、仲良く馬鹿をやる、えっ?アドバイザーイドワイザーはDJじゃねーって?正解!ブラシ10点セットをあげ……ません。はいお約束の馬鹿ギャグが出ました所で、独演がおひらき時になりますけれど、何だかまー、なかなか明けない雨曇りの日の夜明けみたいになって来ていますが有り得ませんね。有り得ないってのはですね、有って得する様に造りゃー良いわけで、何等難しくは無いという事になりますね。その前に有って得するってどーいう事なんでしょ。メイクドラマならぬ、メイドストーリーという、いや、クリエイティドゥストーリーか?要は人工的で天然じゃないからツマンナイ。さていい加減に、今日、今週、今月の動きをやろうか」
ョー、プロデュースト、バ~イ、アドバイザー・イドワイザーで、仲良く馬鹿をやる、えっ?アドバイザーイドワイザーはDJじゃねーって?正解!ブラシ10点セットをあげ……ません。はいお約束の馬鹿ギャグが出ました所で、独演がおひらき時になりますけれど、何だかまー、なかなか明けない雨曇りの日の夜明けみたいになって来ていますが有り得ませんね。有り得ないってのはですね、有って得する様に造りゃー良いわけで、何等難しくは無いという事になりますね。その前に有って得するってどーいう事なんでしょ。メイクドラマならぬ、メイドストーリーという、いや、クリエイティドゥストーリーか?要は人工的で天然じゃないからツマンナイ。さていい加減に、今日、今週、今月の動きをやろうか」
「優しい気持ちをありがとう。もう少しだけ話そう。月明かりが白く流れて、やがて朝に届くまで」
(篠原美也子『月の河』1993年より引用)
優しい気持ち…に今の自分自身がなれているのかいないのか、いやなれてはいないだろう。ただほんの少し、「嬉しくて切なくて寂しい」という想いを感じていることに違いはなく、優しい気持ちを、別に誰かから、「はいどうぞ。あなたの為にこれを」という形で貰ったという事は全くなく、単に、見つけて、勝手にそれを「優しい」という気持ちに変換しているだけだろう。
もう少しだけ話そうって一体何を?自分でタイトルつけておいて、「何を?」はないだろうという話。
何となく思い付いたタイトルなので、深い意味はまったく無いのだけれど、あえて言えば、冬の夜の街で、カーテンがされたどこか知っているようで知らない家の窓から漏れる光を見つけて、思わず扉を叩きそうになってしまった、そんな感じである。会ってみたい、話をしてみたい、もう1度。まるで恋をしているみたいだが、そうではない。けれど、案外、恋と似たような気持ちなのだろうか?そんな事書きながらも、扉の向こうの人とは会いたくはないという気持ちもある。「なんだお前か。お前なんて元からどうでも良かったんだよ。今更、来るなよ」という言葉が出てきそうなのと、私自身が扉の向こうにいる、ある、「幸せ」な物、人を見たくないという気持ちもある。早い話、性の悪い「嫉妬」である。
欲望のままに、悪い結果出るの解ってても、やってみれば良いじゃないか。案外その方がすっきりするぜ、って言われても、「失敗して傷ついて、トラウマ作って動けなくなる自分自身」を私は知っている。そんな想いはしたくはない。保身的なやり方だと解っていても、私には出来ない。
私の扉を叩いてくれたなら、それを開く事が出来る。勿論、望んだ相手ならである。大概、強く自分が望む物・者は、やってはこない。無理に手にしても、長くは続かないし、相手から手放されてひとりになる。故に、「本当の事」に「本音」は語り難い。「自分が傷付くのが嫌」だから。
我が儘な想いだなぁ…と思う。手にしたいけどしたくない。意図が不明瞭な想いにかられる。壊した、壊れたものをもう1度基に戻したいとは思うものの、行き詰まりは裂けられない。行き詰まったら、また壊して、直しての繰り返しは、傷ばかりが増える。嫌想いまでして手にしたい物なんか無いのに、何であるのだろうか?解らない、解らない。
(篠原美也子『月の河』1993年より引用)
優しい気持ち…に今の自分自身がなれているのかいないのか、いやなれてはいないだろう。ただほんの少し、「嬉しくて切なくて寂しい」という想いを感じていることに違いはなく、優しい気持ちを、別に誰かから、「はいどうぞ。あなたの為にこれを」という形で貰ったという事は全くなく、単に、見つけて、勝手にそれを「優しい」という気持ちに変換しているだけだろう。
もう少しだけ話そうって一体何を?自分でタイトルつけておいて、「何を?」はないだろうという話。
何となく思い付いたタイトルなので、深い意味はまったく無いのだけれど、あえて言えば、冬の夜の街で、カーテンがされたどこか知っているようで知らない家の窓から漏れる光を見つけて、思わず扉を叩きそうになってしまった、そんな感じである。会ってみたい、話をしてみたい、もう1度。まるで恋をしているみたいだが、そうではない。けれど、案外、恋と似たような気持ちなのだろうか?そんな事書きながらも、扉の向こうの人とは会いたくはないという気持ちもある。「なんだお前か。お前なんて元からどうでも良かったんだよ。今更、来るなよ」という言葉が出てきそうなのと、私自身が扉の向こうにいる、ある、「幸せ」な物、人を見たくないという気持ちもある。早い話、性の悪い「嫉妬」である。
欲望のままに、悪い結果出るの解ってても、やってみれば良いじゃないか。案外その方がすっきりするぜ、って言われても、「失敗して傷ついて、トラウマ作って動けなくなる自分自身」を私は知っている。そんな想いはしたくはない。保身的なやり方だと解っていても、私には出来ない。
私の扉を叩いてくれたなら、それを開く事が出来る。勿論、望んだ相手ならである。大概、強く自分が望む物・者は、やってはこない。無理に手にしても、長くは続かないし、相手から手放されてひとりになる。故に、「本当の事」に「本音」は語り難い。「自分が傷付くのが嫌」だから。
我が儘な想いだなぁ…と思う。手にしたいけどしたくない。意図が不明瞭な想いにかられる。壊した、壊れたものをもう1度基に戻したいとは思うものの、行き詰まりは裂けられない。行き詰まったら、また壊して、直しての繰り返しは、傷ばかりが増える。嫌想いまでして手にしたい物なんか無いのに、何であるのだろうか?解らない、解らない。